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中国文学映画関連 備忘録

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最近読んだ本

5,6月は修士論文のため雑誌をめくっていたためほとんど本を読まず・・・

◆鶴見俊輔『竹内好――ある方法の伝記』

◆古龍(著)、阿部敦子(翻訳)『金鵬王朝 陸小鳳伝奇シリーズ 1』・・・武侠小説

◆格非「愚か者の詩」「夜郎にて」(『時間を渡る鳥たち』収録)
「愚か者の詩」・・・精神病院。医師の青年が、精神病をわずらう女性に惹かれる。いつの間にか自分が精神病に陥り、女性は回復する。
「夜郎にて」・・・夜郎に訪れた鬱の人が肝炎をわずらって入院しているのかしていないのか

◆宇田禮『艾青という詩人 : 中国人にとっての二十世紀』

◆松村 志乃『王安億論-ある上海女性作家の精神史』

◆王安億「小飯店」

◆王安億「冬天的聚会」


◆松村 志乃『王安億論-ある上海女性作家の精神史』の目次
序 論
第一部 八〇年代の王安憶 「新時期文学」の躍進と挫折のなかで
第一章 王安憶と「尋根(ルーツ探し)」
  一 問題としての王安憶と「尋根」
  二 訪米体験と「尋根」
  三 「尋根」議論の興り
  四 「小鮑荘」をめぐる問題
  五 王安憶の「尋根」とその創作
  六 「尋根文学」と中国の八〇年代
第二章 「私」の書く八〇年代 「おじさんの物語」(一九九〇)論
  一 天安門事件の衝撃
  二 意味をもたない物語
  三 「私たち」の錯覚
  四 「おじさん」と「私」の挫折
  五 「おじさん」を超えて
第二部 九〇年代前期の王安憶 文学者アイデンティティの模索
第三章 「作家」から「小説家」へ 小説学講義(一九九三)を中心に
  一 講義の問題意識
  二 「仕事」としての小説創作
  三 「心霊世界」としての小説
  四 『ノートルダム・ド・パリ』に見る「心霊世界」
  五 『百年の孤独』に見る「心霊世界」
  六 文学者アイデンティティを探しあぐねて
  七 新たな文学者アイデンティティのなかで
第四章 一九九〇年代初期の王安憶小説 『紀実と虚構』(一九九三)を中心に
  一 創作の背景
  二 小説の構成
  三 「私」のルーツの物語
  四 「私」の成長物語
  五 文学の「権力」
  六 「知識分子」への「懐念」 「ユートピア詩篇」との比較において
第三部 九〇年代後期の王安憶 「上海」をめぐって
第五章 王安憶の「上海」 『長恨歌』(一九九五)を中心に
  一 都市小説としての『長恨歌』
  二 『長恨歌』の受容とその背景
  三 『長恨歌』に見る「老上海(オールド上海)」
  四 「生活の美学」
  五 「老上海」の死
  六 王安憶の「上海」
  七 原風景としての「上海」
第六章 「西洋」の追求 『ビルを愛して』(一九九六)論
  一 『ビルを愛して』受容における問題
  二 「西洋」イメージの形成
  三 「西洋」への執着と「世界」
  四 贖われなかった「罪」
  五 「西洋」を超えて
第七章 王安憶のユートピア 『富萍』(二〇〇〇)を中心に
  一 発見された風景
  二 『富萍』に見る上海郊外の風景
  三 富萍という生き方
  四 『富萍』の背景 一九九〇年代末の中国
  五 王安憶のユートピア
  六 原風景としての一九六〇年代
結 論
関係拙論一覧 
王安憶主要作品目録(一九七八−二〇〇〇)
年表 /参考文献/謝辞
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『インタビュー 戦後日本の中国研究』

『インタビュー 戦後日本の中国研究』はこれまで日本で中国研究にかかわってきた人たちに対するインタビューをまとめたもの。さまざまな研究をしている方がいて非常に面白い内容でした。とくに小島麗逸さんのインタビューなどは喋り慣れているような印象を受けました。とても記憶に残ります。

あと、山田辰雄さんの言葉は筋が通っているように感じました。



目次
はじめに──戦後日本の中国研究(平野健一郎)
中国経済研究の新しい方法をめざして(石川滋)
中国共産党史研究から内発的発展論へ(宇野重昭)
旧中国から新中国へ──その思想の軌跡を求めて(野村浩一)
主体への問い──「方法としての中国」をめぐって(溝口雄三)
同時代研究としての中国研究(岡部達味)
農業問題からみる中国経済(小島麗逸)
近代中国研究と東洋文庫(本庄比佐子)
国民党左派の研究から中国を照射する(山田辰雄)
現代中国は手に余るものになった(毛里和子)
中国史から中琉日関係史へ(西里喜行)
朝貢システムからみる東アジア(濱下武志)
編者あとがき(土田哲夫) 

中国現代文学珠玉選[小説1]収録作・凌叔華「刺綉の枕」 廃名「桃畑」 馮至「伯牛、疾あり」、 施蟄存「梅雨の夕べ」

むかし読んだ時とは、それぞれ印象が異なるので面白かったです。

凌叔華「刺綉の枕」
掌編。刺繍に励むお嬢さんとそのお手伝いと、その娘の物語。苦労して丹念につくりあげたはずの刺繍が、二年後、切れ端となってかえってきます。そして、御嬢さんは二年前のことを思い出しながら呆然とします。


廃名「桃畑」
非常に不思議な小説。桃畑を営む酒浸りの父と病弱な娘の物語。幻想と現実が入り混じっています。物語全体が誰の視点から綴られているのかもよく分かりません。さまざまな欠片を寄せ集めて、小説をつくりあげたかのようです。

原文で読んでみたいと感じました。実験的な作風といえるのかも知れません。

馮至「伯牛、疾あり」
馮至が、孔子と伯牛のエピソードを短編小説に仕立て上げたもの。孔子の非常に優れた弟子・伯牛は、美人と結婚した後、病(ハンセン病?)を患います。そして、妻と別れて、人々から口々に罵られながら死のうとしています。孔子は伯牛の手をにぎり、なんという運命だと嘆きますが、どうすることもできません・・・

歴史小説。


施蟄存「梅雨の夕べ」
ある既婚の男性が、大雨の中で初恋の人に似た女性と出会い、自分の傘にいれて、途中まで送り届ける、という物語。男性の思考の流れにそって物語が構成されていて、非常に面白いです。けっこう、くどくどとしていますが、その点が笑いを誘います。



中国現代文学珠玉選[小説1]収録作・老舎『黒李と白李』 、艾蕪『山峡にて』、 丁玲『霞村にいた時』

老舎『黒李と白李』
黒李と白李兄弟の物語。二人は、一人の女性を愛します。黒李は白李のために女性と縁を切りますが、女性はそのことを根に持ち、白李と縁を切ります。そして、白李は黒李を恨み、文句を言います。さらに、分家まで求めるようになります。しかし、黒李は弟を思い、決断できません。

黒李は古い人、白李は新しい人です。たとえば車夫への関わり方が異なります。黒李は車夫の脚を労わるだけですが、白李は車夫を友人とみなして、汽車ができて車夫の仕事が失われることまで見越して心配します。白李は汽車破壊に関与します。その後、黒李は白李の身代わりとして銃殺刑になった。
余華『兄弟』を連想しました。とくに印象に残るのは、兄の自己犠牲。


艾蕪『山峡にて』
本を手離さない青年が、盗賊の一団と一時生活をともにする物語。青年は、盗賊の盗難を手伝います。しかし、盗賊が、重傷を負った仲間を河に投げ捨てる現地を見て、別れようとします。しかし、盗賊の頭の娘は青年をはなそうとしません。その後、役人と兵士の一行が現れて娘が危地に陥った時、青年は機転を利かせて農民を装い、危機を逃れます。その翌日の朝、起きると盗賊はすでにおらず、青年はただ一人残されていました。

ラストで描かれる、盗賊に取り残された青年の寂寞など、非常に味わいがあります。

風景描写も非常に美しいです。原文でも読んでみたいと感じました。



丁玲『霞村にいた時』
著者自身らしき女性が休息のため二週間ほど霞村に滞在した時、出会った力強い女性・貞貞の物語。貞貞は、日本軍に捕まり、長く日本軍のもとで生活しました。村人たちはその女性が日本人将校の奥様になり、うまく立ち回った、とみなして見下しています。それでも、村には貞貞のことを支えようとする青年がいました。しかし、貞貞は最終的に延安にいき、強く生きていこうと決断します。

抑圧された女性を扱った作品。

戦争下で抑圧を受けた女性がその抑圧とどう向き合ったのか、という点を扱った作品。ただ、語り手はあくまで傍観者であり、女性の内心に踏み込むことはありません。その点は誠実です。

ラストでは、共産党に参加することによって強く生きていく、という選択が暗示されます。

中国現代文学珠玉選[小説1]収録作・沈従文「夫」、茅盾「林商店」、巴金「月夜」

『中国現代文学珠玉選[小説1]』は、中国現代の小説家による短編小説の翻訳。15編を収録。

沈従文「夫」
農村出身の男女に物語。町に出て船で男に侍り金を稼ぐ妻と、農村から妻に会いに来る夫。夫は、以前とは変わってしまった妻に戸惑い、その関係に苦慮します。妻が様々な男を相手にするので、夫はふてくされて最終的には大泣きします。紆余曲折はありますが、二人は最終的に農村に帰ることを選択します。

様々な対比が印象的です。農村は純朴かつ善、都市は猥雑かつ悪という図式になっているようです。
茅盾「林商店」
個人商店を開いている林商店が潰れる物語。林氏、林夫人の間には娘が一人いて三人で真面目に商売に励んでいます。しかし、上海で巻き起こる戦争や、賄賂や娘との婚姻を求める局長の抑圧によって資金繰りに苦しみ、商売は立ち行かなくなります。そして、最終的に夜逃げすることになります。

茅盾は、林商店の破産という社会の一場面を切り取ることにより、その背景にある様々な出来事や問題を描き出します。物語のラストでは、林商店が破産することにより、出資していたほかの貧しい人にも被害が及ぶことが描き出されています。その描写が非常に秀逸です。

また、物語自体は非常に読みやすく、理解が容易です。

巴金「月夜」
阿李の船は、夜中、町へ向かう人たちを運びます。客たちはみな到着しますが、普段遅刻しない根生があらわれません。様子のおかしい根生の妻があらわれます。阿李は妻を追っていき、問い詰めます。妻は、根生が地域の有力者に反逆したため捕まったに違いないといいます。皆は半信半疑でしたが、ほどなくして、川に銃殺されたらしい根生の死体が浮かび上がります。
物語が繰り広げられるのは、満月の夜、睡蓮の花が満ちる川辺。情景が非常に思い浮かべやすいです。

3篇は、ともに抑圧される善良な人々の運命が、物語の主題になっています。