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中国文学映画関連 備忘録

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斎藤清明『京大人文研』

『京大人文研』は斎藤清明が多彩なエピソードによって京大人文研の歴史をたどっていくもの。

アンチ東大としての京都シナ学。それを切り開いた狩野直喜・桑原隲蔵・内藤虎次郎(湖南)。東方文化研究所の出発。中国研究の大家・吉川幸次郎。もう一つの源流としてのドイツ文化研究所と旧人文研。

敗戦を迎えて、金銭的に逼迫して政治的にも追い詰められて、やむなく東方文化研究所、ドイツ文化研究所、旧人文研が合流して新人文研が立ち上がるまで。

その仕掛け人の一人、桑原武夫。そして桑原がつれてきた鶴見俊輔。

人文研を支えたアイディア共同研究。その先駆けルソー研究。岩村忍、会田雄次、井上清、飯沼二郎、上山春平、加藤秀俊。

サル研究、ヒマラヤ、アフリカなどへの探検で知られる今西錦司。探検部、近衛ロンド。その弟子たち。人類学。梅棹忠夫。国立民族学博物館。

高橋和巳。敦煌学。中国科学史の研究。

浅田彰などなどに関して。

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植草信和,坂口英明,玉腰辰己 編著『[証言]日中映画興亡史』

『[証言]日中映画興亡史』は、中国映画の歴史に関する解説、およびに日中映画の交流に尽力した人へのインタビューなどを収録。非常に内容が豊富です。

個人的に興味深かったのは、井関惺へのインタビューなど。日中合作で映画をつくる、ということが具体的にどういうことなのかと分かって興味深かったです。

 主要目次
はじめに 日中のへだたりと映画交流 玉腰辰己
証言1 中国映画の歩み 佐藤忠男
証言2 二十一世紀の中国映画界 坂口英明
証言3 中国映画の中の日本人 門間貴志
証言4 初期の日中合作と中国政治の影 佐藤純彌
証言5 東光徳間と中国映画祭 鈴木 一
証言6 素顔の中国映画監督たち 水野衛子
証言7 活字とフィルムをとおして知った中国映画 植草信和
証言8 中国圏映画からアジア映画へ 暉峻創三
証言9 始皇帝暗殺から東アジア合作まで 井関 惺
証言10 現代の中国映画を創る 牛山拓二

四方田犬彦『アジアのなかの日本映画』

『アジアのなかの日本映画』は、四方田犬彦による日本の映画に関する評論をまとめたもの。

1 アジアのなかの日本映画
2 日本映画とマイノリティの表象
3 一九九〇年代の日本映画
4 日本映画の海外進出

から成り立っています。

個人的にとくに興味深かったのは、「1 アジアのなかの日本映画」。

日活のアクション映画が、日本のみならず世界で評価された、ということを四方田犬彦が鮮やかに明らかにしていきます。韓国への影響(韓国では密かに、オマージュ作品が作られた)、ヨーロッパ・ヌーヴェルヴァーグへの影響、台湾への影響(侯孝賢も小林旭をみていた)、香港への影響(日活アクションから香港ノワールへ)などなど。

「3 一九九〇年代の日本映画」では、旧満映撮影所への旅のことなども触れています。

その他、在日、水俣、任侠などを取り上げた映画に関して。

 また「4 日本映画の海外進出」の部分では伊丹万作の日本映画の海外進出計画への考察、日活銀座、武満徹と映画音楽、淀川長治、ヴィデオへの映画への影響などに触れています。どのエッセイもみな映画に対する思いがあふれていて興味深いです。知らないことが多かったので勉強になりました。

日活が銀座の舞台をまるごとつくって維持したというはなし、すごい、と感じました。

 ヴィデオが映画評論を変えたという記述を見て隔世の感があります。今ではネットで多くの映画を見ることができます。

 ピンチョンにも言及。四方田犬彦の視野の幅広さを思い知りました。

 映画を見たあとで改めて読み直したいです。

蓮實 重彦『帰ってきた映画狂人』

『帰ってきた映画狂人』は蓮實重彦の講演、蓮實重彦に対するインタビューをまとめたもの。

蓮實重彦の映画批評が一斉を風靡した理由がわかるような気がします。

映画とは何か、批評とは何か、ということを考える上では役に立つかもしれません。

京都精華大学出版会『リベラリズムの苦悶 イマニュエル・ウォーラーステインが語る混沌の未来』

『リベラリズムの苦悶 イマニュエル・ウォーラーステインが語る混沌の未来』は、京都精華大学開学25周年記念事業として行われたイマニュエル・ウォーラーステインの1993.12.7の講演とそれに付随する質疑応答、座談会などをまとめたもの。

鶴見俊介によるアメリカ哲学史の紹介。「リベラリズムの苦悶 進歩への希望を何につなぐか」と題して行われたウォーラーステインの講演と、質疑応答がそれに続きます。司会は武藤一羊、コメンテーターはいいだもも。そのあとに、「『混沌』の時代の社会科学」と題する座談会が続きます。座談会はさまざまな領域の研究者たち。本田健吉、阪本靖朗、若森章孝、塩沢由典、柴谷篤弘、司会は小野暸。

鶴見俊介の部分では、経歴とUnthinkという言葉に関する考察がつづられていて興味深いです。

ウォーラーステインの講演は主に、1989を境にして、それまで覇権を握ってきたリベラリズムの権威が失墜したという内容です。そして、システムと反システムの闘争は続くはずであり、その中で、私たちは反システムの側に立って相対的に平等主義的で完全な民主的な史的システムを望み、暗闇の中で模索するべき、と呼びかけます。

ただリベラリズムという用語の使い方には注意が必要かと思われます。ウォーラーステインの講演の中では、リベラリズムは左右双方の妥協を導き出す考え方であり、基本的にはエリート主義、先進国の一部の人たちの利益のみを結局として代表する考え方、とされています。

ウォーラーステインはマルクス主義を批判的に継承した、とされているそうです。実際、具体的な現実とのかかわりから思考を深めるという点はマルクスと共通しています。
座談会の内容も四分五裂の内容となっていて、興味深いです。とくにウォーラーステインに対する批判に関して考えさせられました。結局あいまいで答えを出していない、という指摘、あるいはマルクスと同じく学問というより、イデオロギーに陥っているという指摘など。