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中国文学映画関連 備忘録

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孫文「東京留学生歓迎会における演説」

「東京留学生歓迎会における演説」は、孫文が東京の中国人留学生に向けておこなった演説をまとめたもの。

『原典中国近代思想史 第三冊』に収録。1905年8月13日の演説。

近藤邦康翻訳。

今では革命が必要であると誰もが認めている。日本は最初は中国の文化を、後には西洋の文化を取り入れて発展したが、中国が自身の文化を転用するならば、日本を追い越すことができること間違いない。中国は、五千年の歴史がある。他の古代文明は滅びたが中国は滅びなかった。

そして、ヨーロッパでも日本でも古いものは新しいものにすべて置き換わったのだから、中国でも同じようになる。中国は大きく、強く、中国が発憤して強者となれば、誰からも蔑まれないだろう。日本の維新は数人の志士が原動力となってわずか三十数年で成し遂げられた。中国でも同じようにできるだろう。中国でも段階を踏んでいくべき、というものがいるが、それは道理から外れている。最新のものをとれいれたら良いのだ。共和ができない、というものはそれこそが進化の公理に反する。
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韓鋼、辻康吾『中国共産党史の論争点』まとめ2

『中国共産党史の論争点』は、中国共産党中央党学校党史研究室教授の韓鋼が、中国共産党の党史のなかで問題とされている論点を整理した文章。
官方党史を疑う姿勢が保たされています。


・「文化大革命」の原因に関する問題・・・文化大革命がなぜ.どのような原因で起こったのか、という論点に関してさまざまな学説を紹介。過ちを糊塗するためにさらに過ちを重ねた、という主張など。著者は、毛沢東がどうして/どのように文革を発動したのか、毛沢東という要素を経て、どのように文革という形で中国の要素が発露したのか、という二つの観点から議論するべき、とまとめます。

・中国共産党第九回大会での政治報告の起草をめぐる問題・・・毛沢東と林彪の意向が一致していたはずの時期に、すでに毛沢東と林彪の間に軋轢が生じていたのでは、という点に関して。

・「第一号号令」の問題・・・林彪が毛沢東に事前に連絡せずソ連に備えて臨戦態勢を整えたことは、後に林彪の罪とされたが、本当に毛沢東に通達はなかったのか、という論点に関して。

・国家主席設置と九期二中全会の問題・・・林彪が国家主席設置によって、毛沢東に反抗しようとした、という通説に対する反論など。

・「九一三事件」の問題・・・林彪の乗った飛行機が墜落した事件に関して。原因は何か、毛沢東、周恩来がどう対応したのかといった点に関する様々な学説のまとめ。

・「四人組」粉砕の問題・・・華国鋒を始めとした人々が「四人組」を打破した時、誰がどのような形で協力したのか、という点に関して、様々な学説をまとめたもの。

・中ソ関係の問題・・・中ソ関係が蜜月関係から、きわめて険悪な関係になっていくまでの経過を研究した資料に関するまとめ。たとえば、指導者の感情に注目して、スターリンの死後、毛沢東とフルシチョフは対等になったと感じたため軋轢が生じた、という主張など。


その後に、辻康吾による「第Ⅱ部 解説 中国における歴史と権力」が収録されています。

中国では、権力が、歴史を正当性の根拠として利用してきたたため、実証的な歴史研究が妨げられてきました。そして、「官方歴史学」が、毛沢東の神格化を筆頭としてさまざまな歴史の歪曲を行ってきました。しかし、文化大革命の後、「新時期歴史学」が立ち上がり、共産党がつくりだした歴史を相対化する立場から歴史を研究するようになりました。しかし、他にも、両岸関係、日中関係に関する歴史をはじめとて、まだ残された問題がある、と著者は指摘します。

著者が感じた、「現代化」と「近代化」の差異への指摘は興味深いです。

巴金『リラの花散る頃』収録作品1

『リラの花散る頃』は巴金の短編小説集。さまざまな年代の作品が網羅的に収録されています。

「ロベールさん」《洛玻爾先生》1930
ジャックという少年は、愛の歌を歌い続ける老人ロベールさんを疎ましく思っています。しかし、ジャックは母親から注意されて、ロベールさんを丁寧に扱うようになります。あるとき、ロベールさんが姿を見せなくなります。ジャックは心配してロベールさんのもとに赴きます。ロベールさんはベッドで、自分が音楽家であり、かつて母親とあやまちをおかした、と告げます。そして、ジャックの実の父であると明らかになります。その後、ジャックはロベールさんを看取ります。


「リラの花散る頃」《丁香花下》1930
フランスの物語。兄アンドレを戦争で失ったイフラのもとに、兄の戦友アンリが訪れます。アンリは、アンドレが最期に残した手紙を手渡しました。その手紙には、イフラの恋人であるルートヴィヒを殺してしまい、戦争の残酷さと無意味さを悟った、という告白が書かれていました。


「バラライカの思い出」《啞了的三角琴》1931
父の書斎に弦の切れたバラライカがかかっていた。主人公の少年はそれが気になって父が留守の間にバラライカに手を伸ばしますが、誤って落下させて壊してしまいます。その後、父は、そのバラライカと亡き母の来歴を語りました。かつて、父母がシベリアの流刑地に音楽の採集に出かけた時、ラジチェフという男と会いました。そのラジチェフは来訪者のおかげで、バラライカを渡されて、素晴らしい演奏を行いました。しかし、その後はまた泣きながら、監獄の音楽のない生活に戻されました。その時、父母はラジチェフから「ヤロスラブリ州の××村の教会の聖母像の前にラジチェフに代わってろうさくをたててほしい」とお願いをされましたが、忙しくてそのお願いを聞き届けることができませんでした。それを忘れないためバラライカはずっとかかっていたのでした。


韓鋼、辻康吾『中国共産党史の論争点』まとめ1

『中国共産党史の論争点』は、中国共産党中央党学校党史研究室教授の韓鋼が、中国共産党の党史のなかで問題とされている論点を整理した文章。

官方党史を疑う姿勢が保たされています。

第1部 中国共産党史の論争点
・陳独秀評価の問題 共産党の歴史の中で不当に貶められてきた陳独秀の再評価の動向に関して

・富田事件とソビエト区反革命粛清の問題・・・苛烈な粛清が冤罪とされた件に関して

・長征途上の「武力解決」に関する密電の問題・・・毛沢東・周恩来と張国濤の対立に関して

・「西路軍」の問題・・・悲劇的な末路をたどった「西路軍」は、張国濤の独断ではなく、もともと中央、そしてソ連の意向に沿った行動だった、という指摘。

・延安整風と「搶救運動」の問題

・朝鮮戦争の問題・・・朝鮮戦争が勃発した理由などに関して。ソ連が、もともと旅順、大連の不凍港を中国に返還した結果新たな不凍港を探さざるを得なかったため、朝鮮戦争強力に踏み切ったのでは、という指摘など。また朝鮮戦争の結果、中国が得たもの、失ったものに関して。損失が多かったのでは、という学説など。

・過渡期の総路線と社会主義改造の問題・・・毛沢東は新民生主義をなぜ捨てたのか、に関するさまざまな学説。

・「高崗・饒漱石事件」の問題・・・高崗はソ連との独自のつながりを持ち、劉少奇、周恩来と対立した。毛沢東に重用されながら、結局切り捨てられた高崗という人物に関して。

・反右派闘争の問題・・・毛沢東が批判をあおった結果、予想以上の批判が巻き起こり、方向転換して引き締めに図ったことに関して

・「大躍進」と人民公社化運動の問題・・・「大躍進」政策の時期に、どれだけの人が亡くなったのか、二千万、四千万などの様々な学説に関して。そして、当時、異常気象のため被害が拡大したとされるが、実際は異常気象ではなかったのでは、という指摘。

・一九五九年の蘆山会議の問題・・・なぜ毛沢東は突如として彭徳懐批判に走ったのか。背景には、ソ連からの外圧があったのでは、という指摘など。

・七千人大会の問題・・・大躍進の反省の時、劉少奇はその失敗の深刻さを強調したが、毛沢東は毛沢東をたたえて毛沢東主義の徹底が足りなかったといった林彪のほうを喜んだというはなし。

・「四清」運動の問題・・・毛沢東と劉少奇の矛盾はいつから発生していたのか、という点に関して。


孫文「中国問題の真の解決 アメリカ合衆国人民への呼びかけ」

「中国問題の真の解決 アメリカ合衆国人民への呼びかけ」は、孫文がアメリカ人民に対して、清朝を倒すことの正当性と、それに対する援助を訴えた文章。

『原典中国近代思想史 第三冊』に収録。近藤邦康翻訳。1904年執筆。

清朝は、満族がうちたてた国家であり、漢族の国家ではない、という認識が述べられています。また、中国を分割するのではなく、強い国家として保つことが世界の平和にもつながる、という持論も綴られています。

世界中を飛び回り、革命実現のために尽力していた孫文の努力が伝わってきます。