[PR]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
『リラの花散る頃』は巴金の短編小説集。さまざまな年代の作品が網羅的に収録されています。
「ロベールさん」《洛玻爾先生》1930
ジャックという少年は、愛の歌を歌い続ける老人ロベールさんを疎ましく思っています。しかし、ジャックは母親から注意されて、ロベールさんを丁寧に扱うようになります。あるとき、ロベールさんが姿を見せなくなります。ジャックは心配してロベールさんのもとに赴きます。ロベールさんはベッドで、自分が音楽家であり、かつて母親とあやまちをおかした、と告げます。そして、ジャックの実の父であると明らかになります。その後、ジャックはロベールさんを看取ります。
「リラの花散る頃」《丁香花下》1930
フランスの物語。兄アンドレを戦争で失ったイフラのもとに、兄の戦友アンリが訪れます。アンリは、アンドレが最期に残した手紙を手渡しました。その手紙には、イフラの恋人であるルートヴィヒを殺してしまい、戦争の残酷さと無意味さを悟った、という告白が書かれていました。
「バラライカの思い出」《啞了的三角琴》1931
父の書斎に弦の切れたバラライカがかかっていた。主人公の少年はそれが気になって父が留守の間にバラライカに手を伸ばしますが、誤って落下させて壊してしまいます。その後、父は、そのバラライカと亡き母の来歴を語りました。かつて、父母がシベリアの流刑地に音楽の採集に出かけた時、ラジチェフという男と会いました。そのラジチェフは来訪者のおかげで、バラライカを渡されて、素晴らしい演奏を行いました。しかし、その後はまた泣きながら、監獄の音楽のない生活に戻されました。その時、父母はラジチェフから「ヤロスラブリ州の××村の教会の聖母像の前にラジチェフに代わってろうさくをたててほしい」とお願いをされましたが、忙しくてそのお願いを聞き届けることができませんでした。それを忘れないためバラライカはずっとかかっていたのでした。
『中国共産党史の論争点』は、中国共産党中央党学校党史研究室教授の韓鋼が、中国共産党の党史のなかで問題とされている論点を整理した文章。
官方党史を疑う姿勢が保たされています。
第1部 中国共産党史の論争点
・陳独秀評価の問題 共産党の歴史の中で不当に貶められてきた陳独秀の再評価の動向に関して
・富田事件とソビエト区反革命粛清の問題・・・苛烈な粛清が冤罪とされた件に関して
・長征途上の「武力解決」に関する密電の問題・・・毛沢東・周恩来と張国濤の対立に関して
・「西路軍」の問題・・・悲劇的な末路をたどった「西路軍」は、張国濤の独断ではなく、もともと中央、そしてソ連の意向に沿った行動だった、という指摘。
・延安整風と「搶救運動」の問題
・朝鮮戦争の問題・・・朝鮮戦争が勃発した理由などに関して。ソ連が、もともと旅順、大連の不凍港を中国に返還した結果新たな不凍港を探さざるを得なかったため、朝鮮戦争強力に踏み切ったのでは、という指摘など。また朝鮮戦争の結果、中国が得たもの、失ったものに関して。損失が多かったのでは、という学説など。
・過渡期の総路線と社会主義改造の問題・・・毛沢東は新民生主義をなぜ捨てたのか、に関するさまざまな学説。
・「高崗・饒漱石事件」の問題・・・高崗はソ連との独自のつながりを持ち、劉少奇、周恩来と対立した。毛沢東に重用されながら、結局切り捨てられた高崗という人物に関して。
・反右派闘争の問題・・・毛沢東が批判をあおった結果、予想以上の批判が巻き起こり、方向転換して引き締めに図ったことに関して
・「大躍進」と人民公社化運動の問題・・・「大躍進」政策の時期に、どれだけの人が亡くなったのか、二千万、四千万などの様々な学説に関して。そして、当時、異常気象のため被害が拡大したとされるが、実際は異常気象ではなかったのでは、という指摘。
・一九五九年の蘆山会議の問題・・・なぜ毛沢東は突如として彭徳懐批判に走ったのか。背景には、ソ連からの外圧があったのでは、という指摘など。
・七千人大会の問題・・・大躍進の反省の時、劉少奇はその失敗の深刻さを強調したが、毛沢東は毛沢東をたたえて毛沢東主義の徹底が足りなかったといった林彪のほうを喜んだというはなし。
・「四清」運動の問題・・・毛沢東と劉少奇の矛盾はいつから発生していたのか、という点に関して。