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中国文学映画関連 備忘録

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余華《一九八六年》

《一九八六年》は余華の中編小説。

文革期、古代の刑罰に惹かれていた中学の歴史の教員が妻子を残して、紅衛兵に連れ去られます。そして、自白を迫られた翌日に、姿を消します。時を経て教員は狂人となって帰ってきます。妻はおびえますが、他の人々は全く意に介しません。そして、狂人は自らの身体に古代の刑罰を行います。。。

狂人の視点と、一般人の視点の切り替えがあります。

文革というテーマとどう向き合うか、という点で、非常に興味深いです。

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余华《祖先》

余华《祖先》は余華の短編小説。

ゴリラのような先祖があらわれる物語。

私は小さな子供です。ある時、毛むくじゃらの動物が現れて私を抱きかかえます。母親をはじめとする村人は私を救おうとしますが、私は心地良さを感じます。結局、動物が私を放したため、私は何事もありませんでした。その時、父親は何もしないでぼんやりしていたため、村人から馬鹿にされます。父親は決意を固めて、銃を持ち、村の中に入っていきますが、失踪します。何年かたち、新しい教師が村に現れます。教師は私がどうして学校に来ないのかといいますが、父がいないからというと黙ります。またゴリラのような動物があらわれて私は親しみを覚えますが、村人に斬り殺されて、肉は村人に食べられてしまいます。私は悲しくて狂ったようになります。教師は先祖を殺した不肖者と村人を罵ります。その後、また動物が現れますが、村人が発砲して追い返します。。。

余华《我没有自己的名字》

《我没有自己的名字》は余华の小説。

『狂人日記』を髣髴とさせるような、ある悲劇に関して。

周囲の人間から軽く扱われている「私」の物語。私は周囲の人たちからばかにされています。そして、ある時、犬を妻だと言われます。私は拒否しますが、その犬と仲良くなります。しかし、周囲の人たちによって犬は食われてしまいます。その際、犬を呼び出したのは私でした。

一貫して私の側から物語が綴られていきます。

無力な人物が主人公となっている余華の小説としてはよくあるパターンの小説。


余华《蹦蹦跳跳的游戏》

《蹦蹦跳跳的游戏》は余华の短編小説。

病院の前で雑貨屋を営む老人・林德顺は、こどもを連れて病院に来る父母を遠くから見つめています。一週間ほど後に来た時、老人は父母と会話しますが、その時こどもはすでに亡くなっていました。

蹦蹦跳跳的游戏とは、母と子が繰り広げている足を踏む遊びのこと。

非常に短いです。

早くに亡くなるはずの老人が残り、子どもが亡くなる、という展開になっています。


余华《空中爆炸》

《空中爆炸》は余华の短編小説。

1995/12/17

私にはすでに妻がいます。一方、唐早晨は未婚であり、毎回異なる女性を連れて私の家を訪れます。ある時、唐早晨が私に対して結婚のつまらなさを語るので、妻が鍋を持って家から出ていくように告げました。そして、唐早晨は長らく家を訪れませんでした。久しぶりに唐早晨が現れた時、彼は既婚の女性に手を出したため、その夫が家の前にいて困っているので助けて欲しい、といいます。私は妻の同意を得た後、唐早晨を助けるため家を出ます。その後、唐早晨は、陈力达、方宏、李树海に助けを乞います。しかし、途中で唐早晨は他の女性に目を奪われて去っていきます。私と陈力达、方宏、李树海は唐早晨に呆れて罵りますが、久しぶりに集まったので夜まで飲み明かすことにします。

結婚をきっかけとして、家庭を築くこととなった男性たちが、遊び暮らしていた若い頃を懐かしむ物語。

追憶が物語の主題のようです。

ちなみに、空中爆炸とは二つの酒瓶を空中で衝突させて粉砕する遊びのこと。