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中国文学映画関連 備忘録

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賈平凹「太白山記(抄)」、遅子建「霧の月」、劉恒「こころ」(『ミステリー・イン・チャイナ 同時代の中国文学』)

賈平凹「太白山記(抄)」、遅子建「霧の月」、劉恒「こころ」は『ミステリー・イン・チャイナ 同時代の中国文学』収録。

中国の現代小説。

賈平凹、塩旗伸一郎訳「太白山記(抄)」
民話のような奇妙な物語が数々綴られています。霊界で素晴らしい水晶だと偽り、プラスチックのめがねを売る男のエピソード、頭を落としてしまって必死に探す男のエピソードなど面白いと感じました。

賈平凹の小説を読んでみたいと思いました。

遅子建、下出宣子訳「霧の月」
宝墜はずっと三匹の牛と暮らしています。母親が義父とセックスしている場面を見て、義父に叩かれた後知能障害となり、家に住みつかなくなったからです。義父は罪悪感をもち宝墜に優しく接しますが、宝墜は相手にせず、妹・雪児は宝墜を嫌っています。義父が亡くなりますが、宝墜はあまり気にせず、牛の子供が生まれたことを重視します。その後、母が宝墜を気遣っている様を見せて一家は一応和解します。

劉恒、徳間佳信訳「こころ」
文化大革命の時、農村で労働に従事してから北京に戻った若者、林立冬の物語。彼は今ではごみ収集の仕事をして、卑屈になっています。ある時、幼馴染・汪暁葉と再会しますが、汪暁葉が本を読む知的な女性となっていて尻込みします。小さい頃、出っ歯なためばかにされた林立冬は、片足が不自由な汪暁葉と仲良くなり、彼女を背負って通学しましたが、汪暁葉の父の死後、いじめのため汪暁葉を放り出します。そして汪暁葉は去りました。林立冬は汪暁葉に惹かれて、彼女に見合う人間となるため努力し始めます。

文革とその後の人間性の回復、といった形でまとめることが出来そうな小説。

個人的にはどれも面白かったです。
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格非「時間を渡る鳥たち」

「時間を渡る鳥たち」は格非の中編小説。『時間を渡る鳥たち』収録、関根謙翻訳。

原題は「褐色鸟群」とのこと。

主人公は格非という作家。「水辺」で蟄居する彼のもとに棋という女性があらわれたので、クリ色の靴を履き、後に妻となる女性とのエピソードを語る、というもの。最終的に、棋と再会しますが、棋は私のことを知りません。

格非らしい小説。語り、という方法が用いられています。時空が歪んでいるようであり、知っていたはずの人が知らない人になります。

韓東「部屋と風景」、魏微「鄭さんの女」、韓少功「暗香」、王蒙「玄思小説」(『ミステリー・イン・チャイナ 同時代の中国文学』)

韓東「部屋と風景」、魏微「鄭さんの女」、韓少功「暗香」、王蒙「玄思小説」は『ミステリー・イン・チャイナ 同時代の中国文学』収録作品。

韓東「部屋と風景」
妊娠した莉莉の物語。莉莉は、両親の反対を押し切って労働者の克強と結婚、妊娠します。幼稚園の近くの住むことを強く望んでいましたが、近くの幼稚園は取り壊されて工場の建設が始まります。一部の住民は工場の影になるため強く反対しますが、莉莉たち上の階なので関係ないとはあまり気に留めません。しかし、実際建設が始まると、騒音は鳴りやまず、莉莉たちの部屋も工場の陰に隠れることがわかります。莉莉は妊娠のため克強に当たり散らすようになり、その上、莉莉と部屋を覗き見る作業員との駆け引きも始まります。最終的に生まれた子供は発話に問題を抱えていました。

妊娠と工場建設が並行して綴られています。

様々な意味を読み込むことが可能であり、非常に興味深いです。

魏微「鄭さんの女」
私の家はさまざまな人に部屋を貸していました。福建の鄭という人物が三人の弟を連れてあらわれます。私たちと鄭さんたちはとても仲良くなります。鄭は故郷に妻子を残していました。しかし、鄭は現地の女性と同棲するようになります。しかし、その女性には実は夫がいました。外から来る男性を相手にするタイプの女性だったのです...

韓少功「暗香」
老いた魏という編集者のもとに、突然、竹青が見舞いに現れます。魏はどうしても竹青のことが思い出せません。十何年間かすぎた後、魏は自分の書いた未完の小説の中に竹青という人物がいたことを思い出します。魏の死後、家族が小説を焼き捨てて、竹青が焼死したという手紙が届きます。

虚構と現実の奇妙なかかわりに関して。

王蒙「玄思小説」
王という老人に関してとりとめのない様々な話題に関して。


釜屋修による「あとがき――ミステリー・友好と理解の谷間で」は当代文学に関する分析として非常にまとまっていて参考になります。

『「作家」茅盾論』「第6章 『子夜』私論」「第7章 茅盾小説の世界構造――一九三〇年代の都市・農村イメージ」「第8章 「作家精神」の特質――「疎外」と「不能」男性」

『「作家」茅盾論』に関して。

「第6章 『子夜』私論」は、茅盾の代表作と目される『子夜』への分析。著者は、『子夜』は「主題先行」であり、社会構造の絵解きに過ぎない、とする先行研究に反論します。そして、『子夜』には北欧神話の影響を受けた運命観が経済と言う形であらわれて、敵役の姿が曖昧なことによりかえって運命の手先としての怖さがあると評します。

「第7章 茅盾小説の世界構造――一九三〇年代の都市・農村イメージ」は、『子夜』とほぼ同時期に書かれた農村を主題とした短編小説に関する評論。茅盾は、マッチョな貧農の男性に、かすかな希望を見出したのでは、という推論。

「第8章 「作家精神」の特質――「疎外」と「不能」男性」は、武田泰淳の『司馬遷』における「政治的人間」という概念を援用して、茅盾が運命に囚われた「経済的人間」を描いている、とするもの。そして、不能感を大きな要素として取り出します。

これまで、『子夜』しか読んだことがありませんでしたが、茅盾という作家のことを知るきっかけとなりました。非常に興味深い内容です。


『「作家」茅盾論』「 第5章 茅盾と銭杏邨――革命文学論戦再考」

「 第5章 茅盾と銭杏邨――革命文学論戦再考」では茅盾と銭杏邨が論じられています。

銭杏邨は蒋光慈と太陽社を組織した人物。中国共産党に参加、武装蜂起に突き進むことを支持。魯迅、茅盾を批判しました。

著者は、銭杏邨が、茅盾の変化(ロシアのプロレタリア革命への単純な羨望から、中国の現実に対する冷静な認識)を察知して、それを批判したとみなします。そして、銭杏邨の依拠した蔵原惟人などの主張には限界もあったとしつつ、批判されたことによって茅盾の文学論はしっかりと練り上げられた、とします。

蔵原惟人は日本の評論家。日本共産党の立場からプロレタリア文学を後押し。