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中国文学映画関連 備忘録

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溝口雄三、伊東貴之、村田雄二郎『中国という視座』2

溝口雄三、伊東貴之、村田雄二郎『中国という視座』は、三人の学者が儒教という観点から中国を考察したもの。

「1 中国近世の思想世界(天幕と「事件」;二つの理解 ほか)」は、中国の社会の中でどのような役割を果たしたのかという観点から朱子学を問い直すもの。執筆者は溝口雄三。

基本的には、日本における既存の儒学研究を再検討する、という方式をとっています。丸山真男をはじめとする学者たちの意見に、批判を加えていきます。また、朱子学から陽明学にむかって進展があったという見方に対しても批判をくわえていきます。そして、最終的には西洋の概念に寄り添って中国を解釈するという行為自体に疑義を呈します。

そもそも朱子の出現は驚異的なことだった、「理」によって天と人がなりたつとした朱子の立場はそれまでの人知の及ばないものによって世界はなりたつという考え方を打破するものだった、というふうに著者はみなします。そして日本の儒学研究がそれぞれの時代によって影響されていると指摘して、さらに「近代」「解放」「変革」といった西洋の視点からみていくことの危険性を指摘します。

内-外、枠-主といった対立概念を設定して、朱子学から陽明学への進展をとく人たちにも批判を加えます。著者によれば、陽明学は内面、主体性を重視して近代の萌芽となりえるという言い方は正しいとはいえず、朱子学が陽明学に比べて君臣間の秩序を肯定している、という説も必ずしも正しくないとします。そして、朱子学が士大夫に向けたもの、陽明学が民衆に向けたものだという差異が違いとしてあるとみなします。

また、西洋流の客観主義にも、近代社会の抱える様々な問題に基づいて、疑義を呈します。

示唆に富む内容です。
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那須賢一『中国の選択 鄧小平外交と「四つの近代化」』2

那須賢一『中国の選択 鄧小平外交と「四つの近代化」』は、日本人による中国政治の分析。1981年に出版された本であり、当時の政治状況が色濃く反映されていて興味深いです。限られた公開の情報やその端々(たとえば、言葉の順序)から、共産党内部の状況を推測する手法には頭が下がります。

「3 「四つの近代化」と西側大資本」
文革終了後、中国が当初推進していた10ヶ年計画の背景、内容、その特徴などをまとめています。同時に、西側大資本、とくにアメリカが中国の改革開放に乗じて中国の取り込みをはかっていると著者は分析します。著者は、10ヶ年計画には中国の覇権主義が見え隠れするとして否定的です。

「4 10ヵ年計画の挫折と経済"調整"政策」
10ヵ年計画は、現実を無視して経済成長を図ろうとする点で、大躍進政策と同じであり、結果として頓挫したと著者は分析します。重工業の偏重、軽工業と農業の軽視、経済成長率だけの重視、国民生活の軽視といった点が特徴だと著者はまとめます。そして、自主権の拡大がもたらす良い点と悪い点にもふれています。

「5 転機に立つ中国の選択」
中国がこれからどのように進んでいくのかを著者が推測しています。あくまで社会主義国家として、穏健な経済政策をとっていくという道を取ることが望ましいとしています。ただ反毛主義的傾向が強く出ている点には批判的です。


溝口雄三、伊東貴之、村田雄二郎『中国という視座』

溝口雄三、伊東貴之、村田雄二郎『中国という視座』は、三人の学者が儒教という観点から中国を考察したもの。

「3 中国近代革命と儒教社会の反転(儒教社会の転換;中国革命における国家と社会)」では新末、民国時期、どのように、家父長制を根本に据える儒教、礼治システムが崩壊していったのかということをまとめています。執筆者は村田雄二郎。

儒教社会の転換でふれられているのは、儒教の家父長制、それと対を成すものとしての白蓮教の世界観、『紅楼夢』、『鏡花縁』からみる礼治システムのゆらぎ、太平天国の纏足禁止、女性の同性愛的関係と自殺、魯迅の『祝福』にもとづく考察など。

中国革命における国家と社会でふれられているのは、郷紳のさまざまな変化(「国家退縮」に結び付くような国家に縛られないブローカー的な存在への変貌)、宗族結合の弱まり、共産党の登場、礼治システムを根本から覆した土地改革と婚姻法の制定、「大いなる父」毛沢東の登場、家父長制の形を変えた再現?など。

もともと中国は、行政機構が隅々まで行きとどくという仕組みはなく、「小さな国家」だったという指摘は興味深いです。

大きくクローズアップされるのは梁漱溟です。梁漱溟による郷村建設運動が毛沢東の土地改革路線とはまっこうから対立する、という示唆には、考えさせられました。仮に梁漱溟の提唱したような形で中国の国家建設が進んでいったとすれば(それは諸々の要因に実現しえないものかも知れませんが)どうなっていたのだろうかと考えさせられました。




那須賢一『中国の選択 鄧小平外交と「四つの近代化」』

那須賢一『中国の選択 鄧小平外交と「四つの近代化」』は、日本人による中国政治の分析。1981年に出版された本であり、当時の政治状況が色濃く反映されていて興味深いです。限られた公開の情報やその端々(たとえば、言葉の順序)から、共産党内部の状況を推測する手法には頭が下がります。

また、那須賢一さん自身の政治的立場も文章全体ににじみ出ていて考えさせられます。著者は、基本的には社会主義には賛同していて、なおかつ中国が親米路線をとることは、資本主義諸国に取り込まれかねない望ましくない政策とみているようです。

「1 華=鄧体制下の政治路線と指導者の変遷」
中国の政治体制内部でどのような変化が起こっているのか、そして、内政にどのような変化が生じたのかを分析しています。さまざまな勢力による重要ポストの配分などから、どのように華国鋒から鄧小平へと権力が移行していったのか推測していく部分などは興味深いです。

「2 毛沢東以後の中国外交と覇権主義」
中国政府がとっている反ソ親米路線と、覇権主義的外交政策(ベトナム侵攻など)の原因に対する分析。著者は、その姿勢を、資本主義諸国に取り込まれるものとして批判的に分析しています。

2017年時点から振り返って検討した場合、当時の中国の政策はどうだったのか、など考えさせられました。


『中国文学雑談―吉川幸次郎対談集』2

『中国文学雑談―吉川幸次郎対談集』に収録されているのは、吉川幸次郎と井上靖、中野重治、桑原武夫、石川淳、石田英一郎、湯川秀樹との対談。

吉川幸次郎と中野重治の対談は、話がかみ合っているのかかみ合っていないのか分からなくて面白かったです。基本的には、中野重治が喋りたいことを好き放題に喋り、吉川幸次郎が合いの手をいれるといった調子。ただ、中野重治の喋っている内容は、しばしばなんともいえないかんじ。

ただ、軍人に賜りたる勅諭はすっと入ってくるのに、教育勅語はすっと入ってこない、と中野重治が語るのは興味深いと感じました。

杜甫とプーシキンは偉大だという話になって面白いと感じました。そこからゲーテにまではなしが及ぶのがさすがとしかいいようがないです。

改めて吉川幸次郎が荻生徂徠を重視しているのがよくわかりました。


湯川秀樹は、キリスト教や哲学の問題なども含めながら、ヨーロッパにおいて科学が生まれた背景まで滔々と語っています。凄い人だと改めて感じました。