溝口雄三、伊東貴之、村田雄二郎『中国という視座』2 中国関連の本(日) 2017年11月23日 0 溝口雄三、伊東貴之、村田雄二郎『中国という視座』は、三人の学者が儒教という観点から中国を考察したもの。 「1 中国近世の思想世界(天幕と「事件」;二つの理解 ほか)」は、中国の社会の中でどのような役割を果たしたのかという観点から朱子学を問い直すもの。執筆者は溝口雄三。 基本的には、日本における既存の儒学研究を再検討する、という方式をとっています。丸山真男をはじめとする学者たちの意見に、批判を加えていきます。また、朱子学から陽明学にむかって進展があったという見方に対しても批判をくわえていきます。そして、最終的には西洋の概念に寄り添って中国を解釈するという行為自体に疑義を呈します。 そもそも朱子の出現は驚異的なことだった、「理」によって天と人がなりたつとした朱子の立場はそれまでの人知の及ばないものによって世界はなりたつという考え方を打破するものだった、というふうに著者はみなします。そして日本の儒学研究がそれぞれの時代によって影響されていると指摘して、さらに「近代」「解放」「変革」といった西洋の視点からみていくことの危険性を指摘します。 内-外、枠-主といった対立概念を設定して、朱子学から陽明学への進展をとく人たちにも批判を加えます。著者によれば、陽明学は内面、主体性を重視して近代の萌芽となりえるという言い方は正しいとはいえず、朱子学が陽明学に比べて君臣間の秩序を肯定している、という説も必ずしも正しくないとします。そして、朱子学が士大夫に向けたもの、陽明学が民衆に向けたものだという差異が違いとしてあるとみなします。 また、西洋流の客観主義にも、近代社会の抱える様々な問題に基づいて、疑義を呈します。 示唆に富む内容です。 PR