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中国文学映画関連 備忘録

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竹内好「評伝 毛沢東(抄訳)」

竹内好「評伝 毛沢東(抄訳・第七・八章)」は1951年『中央公論』に発表。『竹内好セレクションII アジアへの/からのまなざし』収録。

竹内好からみた毛沢東が綴られています。

毛沢東の方法を無からの創造と竹内はみなして、純粋毛沢東,原始毛沢東というものを探り当てよう、とします。そして、井岡山における無所有者としての経験が根源にあるとします。さらに、敵は強大だが、我は不敗だという信念、敵の戦力を我の戦力に転化するという方法、そして、物質と精神双方にまたがる根拠地というものがあり、それが勝利を可能にするといいます。

自己改造に関しても、竹内好は適当とみなします。さらに、全体と部分の調和、独立と統一の弁証法といった論理が毛沢東を支えている、という論理も展開します。

極めて問題が多い毛沢東論。

竹内好は文学研究をしている人間にとっては、反面教師とするべき最適の例といえそうです。竹内好は文化大革命に肯定的な立場をとったため、のちに批判されましたが、毛沢東という人物を理想的に描きすぎたことがその背景にあると考えられます。

竹内好は文学、哲学の視点から毛沢東や中国をみようとして、論理を展開していきましたが、文学の立場だけではなく、社会学や経済学、法学の立場からも、中国を検討する、ということをしなければ見誤るのではないかと感じました。
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竹内好「大川周明のアジア研究」

「大川周明のアジア研究」は竹内好が1969年、アジア経済研究所調査研究部でおこなった講演をまとめたもの。

大川周明の研究者としての事績をまとめたもの。

竹内好は基本的には大川周明を学者として高く評価し、体制にこびへつらった人ではない、として擁護しています。とくに論理の一貫性を評価します。しかし、中国への視点がよわかったともいっています。

大川周明は東大では印度哲学専攻として古代インドを学び、その後インドの独立運動を支援。南満州鉄道に入社。イスラム教に関心を示します。一方では、『日本精神研究』などで日本思想をまとめました。北一輝、満川亀太郎らと親交があり、様々な昭和維新に関与。東京裁判ではA級戦犯として出廷。しかし精神障害とみなされて免訴。晩年はイスラム研究に取り組みました。


竹内好「明治維新と中国革命」

「明治維新と中国革命」は竹内好が1967年、専修大学の鳳祭で行った講演筆記。『竹内好セレクションII アジアへの/からのまなざし』収録。

竹内好が明治維新と中国革命をどのようにとらえていたかをまとめたもの。文化大革命、ベトナム戦争の最中であり、文革とは何か、ベトナム戦争とは何か、という問いも含まれています。

竹内好は「中国人からしますと、革命と言うのは自分たちの日常に非常に密着したものである。一日の生活がそのまま革命につながるという考え方である」といいます。そして、それを革命の永続観、革命日常観という言葉であらわしています。

さらに、中国の内発性に目を向けるべきと竹内好は主張します。同時に、外との緊張関係にも目を向けるべきといいます。

明治百年、日中戦争から30年、という節目だと強調。日露戦争はアジアのヨーロッパに対する勝利としてアジアで受け止められたという点を孫文の言葉を引用して説明。

解放戦争方式として、中国共産党の方式、ベトナム戦争におけるベトコンの方式をあげます。民衆を味方につけて、敵の力を自分のものとする、という点をあげています。


「日本のアジア主義」

「日本のアジア主義」は、竹内好が1963年8月10日『現代日本思想体系』第九巻「アジア主義」に「解題 アジア主義の展望」と題して発表したもの。『竹内好セレクションII アジアへの/からのまなざし』収録。

2000年代に入ってから、改めて様々な形で言及されることの多い文章。アジア主義のルーツを探っていこうとするもの。

ただ、竹内自身も「つまり、私の考えるアジア主義は、ある実質内容をそなえた、客観的に限定できる思想ではなくて、一つの傾向性ともいうべきものである」(259p)、「ある思想なり、ある思想家なりが、ある時期に、よりアジア主義的であるかないかを弁別することはできるが、それは当然情況的に変化するものであるから、状況を越えて定義を下すことはできない」(260p)、「ただそれは、民主主義とか社会主義とかファシズムとか、要するに公認の思想とはちがって、それ自体に価値を内在させているものではないから、それだけで完全自足して自立することはできない」(261p)と記しているように、なかなか扱いが難しいものとみられる。

言及されるのは国家におもねり歴史を歪曲する平野義太郎。民権をかかげた植木枝盛。『大東合邦論』を記した樽井藤吉。「大阪事件」で刑死した大井憲太郎。右翼の黒幕とまでみなされた頭山満。黒竜会、玄洋社の内田良平。中国革命に参画した宮崎滔天。「アジアは一つ」といった岡倉天心。広く注目された北一輝などなど。

その過程で、アジア主義が右翼のものとなっていったことをまとめていきます。左翼はインターナショナルを掲げたが、それはうまくいかない場合もあり、民族主義によってつまずく人を発生させた、とも竹内は読み解きます。

竹内がとくに激しく批判するのは平野義太郎。「思想の名に値せぬ」とまで書きます。

また、関連する人物として福沢諭吉、中江兆民、西郷諭吉などにも言及。右翼が心情的なルーツとした西郷諭吉に関して。西郷諭吉は反革命とされるものの、実は、西郷諭吉を倒した明治新政府のほうが革命から外れたのではないか、というような指摘。

劉徳有『時は流れて 上―日中関係秘史五十年』2

劉徳有『時は流れて 上―日中関係秘史五十年』は、日中間の通訳にあたった劉徳有がみずからの経歴をまとめたもの。『時光之旅――我経歴的中日関係』の日本語版。

「日本歴訪」では、通訳として様々な訪日代表団に随行した経験が綴られています。

貿易代表団、郭沫若の訪日、王震の訪日、アジア・アフリカ作家東京緊急会議、『人民中国』代表団、李一ボウの訪日、王震の長崎平和祈念館への訪日などなど。

大連時代の先生、矢木博との再会にもふれています。

さまざまな中国の人たちがどのように日本人と触れ合ったのかが分かって興味深いです。