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中国文学映画関連 備忘録

「日本のアジア主義」

「日本のアジア主義」は、竹内好が1963年8月10日『現代日本思想体系』第九巻「アジア主義」に「解題 アジア主義の展望」と題して発表したもの。『竹内好セレクションII アジアへの/からのまなざし』収録。

2000年代に入ってから、改めて様々な形で言及されることの多い文章。アジア主義のルーツを探っていこうとするもの。

ただ、竹内自身も「つまり、私の考えるアジア主義は、ある実質内容をそなえた、客観的に限定できる思想ではなくて、一つの傾向性ともいうべきものである」(259p)、「ある思想なり、ある思想家なりが、ある時期に、よりアジア主義的であるかないかを弁別することはできるが、それは当然情況的に変化するものであるから、状況を越えて定義を下すことはできない」(260p)、「ただそれは、民主主義とか社会主義とかファシズムとか、要するに公認の思想とはちがって、それ自体に価値を内在させているものではないから、それだけで完全自足して自立することはできない」(261p)と記しているように、なかなか扱いが難しいものとみられる。

言及されるのは国家におもねり歴史を歪曲する平野義太郎。民権をかかげた植木枝盛。『大東合邦論』を記した樽井藤吉。「大阪事件」で刑死した大井憲太郎。右翼の黒幕とまでみなされた頭山満。黒竜会、玄洋社の内田良平。中国革命に参画した宮崎滔天。「アジアは一つ」といった岡倉天心。広く注目された北一輝などなど。

その過程で、アジア主義が右翼のものとなっていったことをまとめていきます。左翼はインターナショナルを掲げたが、それはうまくいかない場合もあり、民族主義によってつまずく人を発生させた、とも竹内は読み解きます。

竹内がとくに激しく批判するのは平野義太郎。「思想の名に値せぬ」とまで書きます。

また、関連する人物として福沢諭吉、中江兆民、西郷諭吉などにも言及。右翼が心情的なルーツとした西郷諭吉に関して。西郷諭吉は反革命とされるものの、実は、西郷諭吉を倒した明治新政府のほうが革命から外れたのではないか、というような指摘。
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