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中国文学映画関連 備忘録

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冯小刚《芳华》

严歌苓の小説を改編したもの。文工団の若者たちの物語。

物語の語り手は萧穗子。主人公は刘峰と何小萍。善良な刘峰(黄轩)は、誰に対しても優しく接します。何小萍(苗苗)は汗をよくかくということで、文工団の中でいじめを受けています。林丁丁(杨采钰)は美貌によって人々の視線を惹きつけます。萧穗子(钟楚曦)は一歩ひいた立場からその様子を眺めています。

刘峰は林丁丁に抱き着いて拒絶されます。そして、批判を受けて前線へ向かいます。刘峰を密かに慕う何小萍は、刘峰を放逐した集団に対して嫌気がさします。そして、前線でダンスするべき場面で風邪をひいていると言ったので、野戦病院に転属となります。その後、何小萍は戦争の中で多くの死者を看て、発狂します。しかし、文工団解散前日に文工団によるダンスを見て踊りだします。刘峰は戦争で腕を失い、以後、海口で働きます。流転の末、二人は最終的に巡り合います...

集団の同調圧力の怖さを描いた作品として興味深いです。

描かれているのは、文工団の青春。しかし、美しいものとして青春を描いているというわけではありません。


《芳华》(2017■ 冯小刚■黄轩、苗苗、钟楚曦、杨采钰■『Youth』)
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斎藤清明『京大人文研』

『京大人文研』は斎藤清明が多彩なエピソードによって京大人文研の歴史をたどっていくもの。

アンチ東大としての京都シナ学。それを切り開いた狩野直喜・桑原隲蔵・内藤虎次郎(湖南)。東方文化研究所の出発。中国研究の大家・吉川幸次郎。もう一つの源流としてのドイツ文化研究所と旧人文研。

敗戦を迎えて、金銭的に逼迫して政治的にも追い詰められて、やむなく東方文化研究所、ドイツ文化研究所、旧人文研が合流して新人文研が立ち上がるまで。

その仕掛け人の一人、桑原武夫。そして桑原がつれてきた鶴見俊輔。

人文研を支えたアイディア共同研究。その先駆けルソー研究。岩村忍、会田雄次、井上清、飯沼二郎、上山春平、加藤秀俊。

サル研究、ヒマラヤ、アフリカなどへの探検で知られる今西錦司。探検部、近衛ロンド。その弟子たち。人類学。梅棹忠夫。国立民族学博物館。

高橋和巳。敦煌学。中国科学史の研究。

浅田彰などなどに関して。


水谷尚子『「反日」以前 中国対日工作者たちの回想』

『「反日」以前 中国対日工作者たちの回想』は水谷尚子が聞き取りをもとにして、さまざまな中国人の体験をまとめたもの。

貴重な証言が数多く含まれています。とても勉強になりました。ただ、個人的には日中で意味の異なる「工作者」という言葉をわざわざタイトルに採用する点(編集者がつけたのかも知れませんが)、現在日本との交渉にあたっている中国人政府関係者に対して辛辣な点など著者の態度には疑問点は覚えました。

原清子は、延安で数少ない日本人女性としてラジオ放送に携わった人物。

趙安博は、日本留学経験があり、延安では日本人捕虜の教育にあたりました。そして、戦後日本との折衝の最前線で活躍した人物でもあります。

黄乃は日本でエスペラント普及に関わり、帰国後は延安で野坂参三を支え、また『敵情』の編集長もつとめました。戦後は失明しますが、中国語の点字を改良して失明した人たちのために尽力しました。

康大川は『人民中国』日本語版の実質的な立案者であり、編集長。台湾出身、日本で学び、流暢な日本語を用いたそうです。



第1章 生きていた「延安ローズ」原清子
第2章 趙安博回想録 対日工作現場の第一線にいた人物が語る日中関係史の一断面
第3章 黄乃回想録 辛亥革命の英雄・黄興遺腹子の抗日戦争
第4章 康大川回想録 中国の日本語雑誌『人民中国』初代編集長の生涯

譚璐美『帝都東京を中国革命で歩く』

『帝都東京を中国革命で歩く』は、譚璐美が戦前日本に留学してきた中国人留学生の逸話を日本の土地とからめながら紹介していくもの。白水社。

学術書よりはくだけた感じなので、革命に従事した中国人の青年たちの姿が浮かび上がるようで興味深いです。秀才で損な立ち回りなために影の薄い宋教仁、無鉄砲で飛び出していき、勉強はあまりできない蔣介石、非常に優秀な勉強家・李漢俊、西郷を思わせる豪傑・黄興などなど。

「日華学会」が中国人留学生の受入れに関して大きな役割を果たしていたという逸話など全く知らなかったので面白かったです。

神保町は今でも古本街として有名ですが、当時からそれが全く変わらないということも改めて確認しました。


[目次]
  はじめに

Ⅰ 早稲田
第一章 黄龍旗がはためく街——清国チャイナタウン
第二章 頭をふるって顧みず、われは東へ行かん——梁啓超の悲しみ
第三章 知られざる天才——憲政の祖・宋教仁
第四章 戸山の軍人学校——蔣介石の夢と憧れ
第五章 芥川龍之介より日本語がうまい帝大生——社会主義者・李漢俊

Ⅱ 本郷
第六章 清国人最初の日本語学校——弘文学院
第七章 中国の西郷隆盛——黄興の暮らしぶり
第八章 朝顔の咲く家——魯迅の思い出
第九章 関東大震災(一)——日華学会のなりたちと留学生支援
第十章 関東大震災(二)——本郷、麟祥院に今も眠る留学生たち

Ⅲ 神田
第十一章 慈愛の宰相——周恩来の目立たない日々
第十二章 最大規模の日本語学校——東亜高等予備学校
第十三章 留学生の憩いの場——清国留学生会館と女傑・秋瑾
第十四章 留学生の胃袋、そして知恵袋——神保町の書店街 >立ち読み
第十五章 辛亥革命の後背地——日本各地に孫文伝説

『満鉄の調査と研究 : その「神話」と実像』「フレーム・アップと「抵抗」—満鉄調査部事件」

「フレーム・アップと「抵抗」—満鉄調査部事件」は松村高夫が満鉄調査部事件に関してまとめたもの。『満鉄の調査と研究 : その「神話」と実像』所収。第八章。

さまざまな資料に基づいて満鉄調査部事件の実態を明らかにしようとするもの。示唆に富んでいます。

満鉄調査部事件とは、関東軍憲兵隊が、満鉄調査部の中で反国家的な陰謀が行われているとして多数の調査部員を検挙、起訴した事件のこと。起訴された人の中には執行猶予付きの懲役刑となった人もいます。長らく真相は不明とされてきましたが、最近様々な研究が発表されるようになりました。

中国で発見された新しい証言に基づいて、潜在的な動きがあったと判断する研究(『満鉄調査部事件の真相―新発見史料が語る「知の集団」の見果てぬ夢』など、)もいます。しかし、松村高夫は、そういった主張に反対します。そして、証言は強要されたものであり、事件それ自体をフレーム・アップとみなします。戦後の証言に関しても、何らかの形で軍部に抵抗を試みていたと信じたい、という心情によって影響を受けている可能性もある、とします。

証言の扱い方に関して考えさせられます。