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中国文学映画関連 備忘録

6/17 『緑茶』

『緑茶』(2002)は、張元監督による中国の恋愛映画。

三人?の登場人物を中心にして物語はすすみます。最近女性に振られたと語る中年男、陳明亮(姜文)。奇妙な友人の物語を語りつづける堅物の大学院生、呉芳(趙薇)。それから、呉芳と瓜二つの容貌で、誘われたら誰の相手でもすると噂の美貌のピアニスト、朗朗(趙薇)。

陳明亮と呉芳はお見合いの席でたまたまた出会います。陳明亮は呉芳を追いかけますが、呉芳は陳明亮に対して奇妙な友人の物語を語り、一方では毎日のように様々なお見合いに出かけます。陳明亮は友人から唆されて、朗朗を誘います。陳明亮は、朗朗が呉芳とよく似ていることに驚いて問い詰めますが、朗朗は全く相手にしません。朗朗と呉芳が同一人物なのかそうではないのか陳明亮は混乱します。

また、呉芳の語る奇妙な友人の物語は、実際は呉芳自身の体験のようであり、父親殺しや母親の服役といった重い話題にまで発展していきます。

張元は「中国第六世代監督」の旗手の1人として数々の国際的な映画祭で評価されています。しかし、1998年まで張元は公式には映画撮影を禁止されてインディペンデント映画の世界で活動しており、中国で彼の映画が上映されることもなかったそうです。もしかしたら、中国ではあまり知られていないかも知れません。賈樟柯と似たようなパターンです。

国外の人たちが日本に対して抱いているイメージと、国内の人たちが日本に対して抱いているイメージが大きく乖離しているのではないか、と感じることはよくあります。同じように、中国のイメージも、国内と国外では大きく異なるはずです。そのずれに関して考えることができたら、非常に面白いのではないか、と映画を見ていて感じました。

『緑茶』は、張元が本格的にメジャーな映画界に戻った後制作された作品だそうです。商業映画であることを強く意識していると一般的には評価されており、陳明亮を演じているのは姜文、呉芳と朗朗の二役を演じているのは趙薇です。ただ、決して単純明快というわけではなく、不自然なほど登場人物の顔に寄るカメラワークや観客を謎に落とし込む展開は興味深いです。
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