叶立文《颠覆历史理性‐余华小说的启蒙叙事》 余華関連の評論 2015年10月13日 0 《颠覆历史理性‐余华小说的启蒙叙事》は、武漢大学教授・葉立文による、余華の初期の小説に対する評論です。 《余華研究資料》収録。もともと《小说评论》2002年第4期に掲載。 文体が練られており、難解。 著者は、余華をはじめとする先鋒文学作家は五四以降の文学の持つ啓蒙主義を受け継いでおり、それを補完している、と評価します。さらに、余華が小説の中で、歴史理性を顛覆しようとしている、とみなします。歴史理性とは「人民」などの大義の名のもとに個人の生命感覚を殺すものです。 また、著者は、余華と魯迅を並べて論じて、余華が、「国民性批判」を継承しているとみまします。余華という作家が、余華を評価する中国の文壇の人から、どのようにみられているかということをよく示す論文のように思われました。 ・内容のまとめ 初期の小説《一九八六年》は、文革という悲劇を自傷行為によって反復する教師の物語です。物語ではリニアルな歴史が消え去り、歴史が人格の肉体の形式でもって出現します。そして、その自傷行為によって、歴史理性が傷付けられます。また、教師と教師を見る群衆の関係も問題です。啓蒙者と愚昧な人々の関係になっているのです。教師の振る舞いは一見すると狂人のようです。しかし、個人の生命体験をあらわした自由倫理の個人的叙事であり、それは合法性を持ちます。逆に、その意味を理解しない群衆こそが不正常だということになります。価値が反転するのです。 また、《四月三日》という物語の中では、少年は外界の人たちに対して敵意を抱いています。物語はパラドックスをはらんでおり、細部は真実でありながら全体としては虚構となっています。少年は一見すると被害妄想のようだが、少年の視点からみたら、外界が敵意に満ちているということは事実です。真実が真実ではなくなり、真実ではないものが真実になるのです。余華は、「生活真実」を描き、個人の視点を大切にします。そして、個人の視点によって、歴史理性を顛覆していきます。それは啓蒙主義の自己反省であり、それは啓蒙主義の成熟といえます。 PR