余华《温暖和百感交集的旅程》収録エッセイ4 余華の小説随筆 2015年10月29日 0 《温暖和百感交集的旅程》は、余華のエッセイ集。 《读书》という雑誌の連載をまとめたものだそうです。 「卡夫卡和K」 フランツ・カフカという人とその作品に関して。小説と日記から、カフカを分析。カフカを『城』に登場するKになぞらえて、「外来者」としてしか生きることができなかったことを浮き彫りにします。 たとえば、スポットライトを当てられるのは、刀で自分の体をすぱっすぱっと切っていく、「一切が私にとっては虚構に属する」という日記の記述など。また、『城』において、官僚機構の力が住民によって形成される様子にも注目。権力の計り知れなさ、住民の無感覚を分析します。またカフカが性と権力の関係に敏感だったこと、カフカの幸せとは言い難い性(肉体の欠けた、想像の性)の経験などにも着目。そして日記に基づいて、外部と内部が分裂した中で生きた人としてカフカを捉えます。 「文学和文学史」 文学史において注目されることの少ないブルーノ・シュルツの作品に関して。「大鰐通り」を比喩に用いながら、空白となっている地図の中でブルーノ・シュルツを描き出します。言及されるのは「鳥」「あぶら虫」「父の最後の逃亡」など。鳥を買うことに固執する父、あぶら虫になってあらわれる父、カニになってあらわれて最後には煮られる父。 ブルーノ・シュルツはカフカと同じくユダヤ人作家。ドロホビチに生まれたあと、ヨーロッパ各地を転々。第二次世界大戦中ゲシュタポ将校に画家として雇われて生き延びますが、ゲシュタポの無差別殺人に巻き込まれて銃殺されました。 また、同じように文学史で注目されない樋口一葉「たけくらべ」に関しても言及。ヘミングウェイの評価したスティーヴン・クレインに関してもふれています。そして、各々の読者が、各々の読書史でもって自分に属する文学史をつくるのだ、とまとめます。 「威廉·福克纳」 フォークナーに関して。違う年代に出版された『響きと怒り』《喧哗与骚动》中国語版から語り起こして、フォークナーの創作に関してまとめます。一切むだがない、という指摘など。 「胡安·鲁尔福」 文学の継承に関して。コロンビアの小説家ガルシア・マルケスが創作で行き詰っていた時、メキシコの小説家フアン・ルルフォの作品に出合い、それによって新しい道を拓いた、というはなしなどから、文学の継承に関して論じています。フアン・ルルフォは『ペドロ・パラモ』の作者。 その他、多くの作家に言及。フォースター、エリオットの関係など。 「文学は道と同じであり、両端どちらにも方向があり、人々の閲読の旅はフアン・ルルフォを通じた後、ガルシア・マルケスの駅に到達する。ひるがえって、ガルシア・マルケスを通じて同様にフアン・ルルフォに到達することもできる。二人の各々に独立した作家は彼らの各々に独立した地区のように、ある精神の道が彼らをつなぎ合わせて、彼らはすでに双方ともますますよくなる。 PR