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中国文学映画関連 備忘録

余华《古典爱情》

《古典爱情》は余華の中編小説。

伝奇小説を思わせる幻想的な作品。

もともと貧しい家庭に生まれた柳生は、世の中が豊かな時、上京して科挙を受けます。その途中で巨大な邸宅の閣楼に入り込み、惠という女性と出会います。雨宿りのため一時的に留まり、惠と惹かれあいます。そして、「科挙に受かろうと受かるまいと早く戻ってきて欲しい」と言われます。科挙に落ちたため、失望によって柳生は惠に合わせる顔がないと思います。柳生が帰る時その邸宅を通ると、もともとあった閣楼はすでになく、絶えた井戸と壊れた垣が残っているだけでした。そして、惠の姿はどこにもありませんでした。

三年後、柳生は再び上京して科挙を受けますが、周囲には荒野、枯れた河,人が草を食む光景が広がっていました。そして、惠がかつて住んでいた街に行くと、柳生は、父親によって娘が食肉として売られている光景に直面します。その後、柳生は、食肉として扱われて足を切られた惠と退会します。その時にはすでに遅く、柳生は三年にわたって積もった思いを込めて惠の胸を突き、惠の苦しみを解き、彼女を埋めます。数年後、再び世界が豊かになりますが、柳生は一切の功名を捨てて惠の墓の傍に住みます。ある日惠と再開して、惠の復活を予感します。そして、思わず墓を掘り返します。その後、惠があらわれて、「私はもともと生き返ることができたのに、あなたに発見されたためにできなくなった」といってて立ち去ります。

きわめて寓話的。

文語的表現などが多く、文体は他の余華作品と比べて壮麗です。

成就しない恋愛を描いています。プロット自体は、伝奇小説から借りてきたもののようですが、余華らしくない印象を受けます。

「食人」というテーマは魯迅を思わせます。世相が悪化すると、女性など社会的弱者がまず虐げられる事実を描き出している、とも読めます。

生々しい血、身体の切断の描写などが印象に残ります。

水の描写も非常に印象的です。《世事如烟》では水が死後の世界や死を暗示しているようでしたが、この作品でも、水と死が関連し合う場面があります。ただ、この作品では、死後の肉体を清めるものとして水が登場します。たしか『死者たちの七日間』にも、水で体を清める場面がありました。

余華の小説の中に登場する水の描写を分析したら面白そうです。
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