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中国文学映画関連 備忘録

小林文男『中国現代史の周辺』収録作1

『中国現代史の周辺』は、小林文男による中国現代史に対する考察をまとめたもの。1976年出版。アジア経済研究所。

当時の時代状況を垣間見ることができて非常に興味深いです。たとえば、当時、文化大革命や毛沢東に対してどのように判断を下すか、ということが、中国関係者にとって大きなテーマとなっていたことがよく伝わってきます。


「栄光、そして挫折 悲劇の歴史家呉晗氏のこと」
中国の歴史家、呉晗が『海瑞罷官』を執筆したために糾弾されて非業の死を遂げた経緯をまとめたもの。その糾弾は、文化大革命が始まるきっかけとなりました。

小林文男は、呉晗が聞一多から思想的に影響されたことを指摘します。また、歴史家として、『朱元璋伝』を執筆して貧民から皇帝にのぼりつめた朱元璋を描いたため、毛沢東に気に入られたのではないかと分析します。そして、政治的に抜擢されて北京市副市長になり、その上整風運動などでは全く批判されませんでした。しかし、1966年、『海瑞罷官』が、大躍進製作を批判して失脚した彭徳懐を庇う内容だとして呉晗も失脚しました。

小林文男は、呉晗とじっさいに交流した数少ない日本人の一人として、呉晗のことを綴っています。


「毛沢東の階級概念 文化大革命について」
劉少奇は、毛沢東や毛沢東を信奉する紅衛兵によって、「毛沢東に背いた」「プロレタリアートに背いた」と批判されて失脚しました。小林文男はその毛沢東の意見を疑い、逆に、毛沢東の意見が変化したのだ、と指摘します。

小林文男は、中国とソ連が対立関係にいたった原因、そして、文化大革命が始まった原因は、毛沢東が、突如として「社会主義社会にも『階級』があり、それとの闘争は、社会が共産主義の段階にはいるまで不断に続く」という考え方を提出したため、とみます。その考え方は、1957年の毛沢東自身が発表した「社会主義社会の矛盾は、敵対的な矛盾ではなく、社会主義制度自体によってたえず解決することができるものであり、わが国においては、革命期の大規模な暴風雨のような大衆的な階級闘争は基本的に終わった」という考え方と矛盾していました。だから、大きな波紋を広げました。そして、対立を招きました。

また、小林文男は、紅衛兵とそれを肯定する人々に対して疑義を呈します。問題としてあげているのは、紅衛兵と労働者の対立が国家全体に悪影響をもたらす点、また紅衛兵の活動がかつての農民の蜂起と重ねられて語られるが時代状況が全く違う点などです。ただ毛沢東が紅衛兵、つまり若者たちから圧倒的な支持を得ていることも指摘します。
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