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中国文学映画関連 備忘録

5/24『活きる』(《活着》・1993年)

『活きる』(《活着》・1993年)は張芸謀監督が制作した映画作品。余華の小説を原作としており、第二次世界大戦前後から文化大革命にいたるまでの激動の時代を生きた中国のひとにスポットをあてています。

1940年代の国共内戦、1950年代の大躍進、1960年代の文化大革命などを背景として、その中で生きるひとたちを描き出しています。世界的に評価されましたが、中国では政治的な理由のため放送禁止になりました。

映画上映をお手伝いして、改めて見直すことができて良かったです。物語の軸となるのは、福貴(葛優)、家珍(鞏俐)夫婦の物語。

放蕩息子の福貴は賭博に負けて屋敷を失い、妻の家珍は賭博をやめないので彼のもとを去ります。すべてを失ったかに思えましたが、賭博をやめた後家珍が戻ってきたので、福貴は影絵芝居をして、家珍と二人の子ども(鳳霞、有慶)を養います。国民党軍に捕まると従軍して、大砲をひきます。こんどは共産党軍に捕まると兵士を慰撫するため影絵芝居を行います。その後国共内戦が終わると福貴は帰郷して家珍と再会して、生活を回復します。50年代、大躍進が始まると、上流階級は一斉に弾圧されます。時には見せしめのための処刑も行われました。各家庭は鉄を供出して砲弾を作るための鉄塊を練り上げることになります。福貴は工場で人々を奮い立たせるため影絵芝居を行い、評価されます。しかし、区長に出世していた旧友・春生が起こした自動車事故で有慶を失います。60年代、文化大革命がはじまると、知識人や当時の統治者に対する批判と弾圧の嵐が吹き荒れて、毛沢東を崇拝する紅衛兵が主要な施設を占拠します。その環境下にありながら、鳳霞はぶじに良いひとと出会い

結婚、妊娠します。出産の際、赤子・饅頭は無事に生まれます。しかし、鳳霞は経験不足の若い看護士たちのミスにより流血がとまらなくて死亡します。福貴は、病身の家珍を看病しながら、孫である饅頭を育てていくことになります。。。

幸福のあとには不幸が、不幸のあとには幸福がつらなるようにして訪れます。その二つは表裏一体のようになっています。たとえば、福貴は賭博によって屋敷を失いますが、その結果として皮肉なことに共産党政権が成立したあと地主に認定されず助かります。一方、娘・鳳霞が孫を生んだ時には、若い看護士たちのミスにより娘が命を落とすことになります。その上、ある一つの場面において悲劇と喜劇が混然一体となっていることも特徴です。笑うべきなのか泣くべきなのか分からない場面もあります。

物語は、全体としては確実なものがどこにもない、非常にシュールな世界を描いています。共産党政権下で成功して地位を得た人たちは、文化大革命が始まると、走資派と認定されて一転して迫害を受けることになります。断続的に社会が変動、そのたびに立場や位置付けが完全に逆転して、敵とみなされたものに対する迫害の嵐が巻き起こるとしたら信じられるものはなくなります。しかし、過去の中国は実際にそのような状況にあったのだということを映画は端的に示そうとしています。

余華の原作との共通点や相違点もまた興味深いです。映画版が描き出した、希望を感じさせるようなラストシーンは印象に残ります。救いがあることによって、映画としてはみやすくなっているように思われます。

『活きる』は、中国人が、中国の歴史をどのように対象化しようとしてきたのか、といったことを考える際きわめて大きな手がかりになります。歴史の捉え方には、歴史を捉えようとする人の関心が反映されるものであり、逆に観察者の思想や関心のあり方によって再構成されたものが歴史といえます。第二次世界大戦や大躍進、文化大革命、改革開放の記憶をどのように再構成して解釈するのか、という問題は、その結果としての現在をどのように評価するのかという問題とつながっています。大躍進や文化大革命を不合理な一時的脱線とみなして、中国は一貫して進歩していくべきだと考えるのか。あるいは、進歩やモダニズムを両義的なものとして再考するべきだと考えるのか。 『活きる』はどちらかといえば後者に属するのでは、と今考えていますが、少なくとも単純に枠に当てはめて解釈することができる作品ではないと感じます。
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