赵毅衡《非语义化的凯旋——细读余华》 余華関連の評論 2015年11月20日 0 《非语义化的凯旋——细读余华》は、趙毅衡のよる余華論。 もともと《当代作家评论》1991年第2期に掲載。 ・余華には、習作期間というものがあまり見られない ・分類するとすれば、先鋒文学第二の波は、文革の影響で下放されていない者が多い ・先鋒文学は《收获》《钟山》《上海文学》などに支えられたため、上海・浙江周辺出身のものが多い。 ・余華は魯迅の後継者とみなしえる。ただ、魯迅は新旧の対立、余華は虚実の対立。 ・余華の初期作品は、往々にして成年になることに直面した人格転換の苦しみに注目。 具体的な作品への言及 ⇒《四月三日事件》 一人の男子が、周囲から迫害されていると感じる。幻覚は現実によって証明されて、現実もまた幻覚によって証明される。そして現実が幻覚の中の一環となり、その連関が互いに相互の因果を証明する。 ⇒《世事如烟》自我体験が意義体系の対訳である原因で、幻覚と現実の変換が個人の精神の範囲を超えており、その動力は中国のサブカルチャーの中の根深くて根源的な野蛮な風俗、中国人の潜在意識の中の最も暗黒な部分(採陰補陽、身代わり、冥婚で邪気を払う、子女の売買など)に存在している ⇒《难逃劫数》皆が死への恐怖におびえている。そして、虚栄と性の嫉妬で突き動かされている。 ⇒《一九八六年》現実を扼殺している。最も狂気的なのは中国歴史全体の残酷さ。 ・余華の小説では、繰り返し・運命の不可避が描かれる ・死の描写の細密化は死に対して実体性を与える。《难逃劫数》の少女の自殺、《古典爱情》における食肉となった少女の扱い、《一九八六年》の中学教師の壮絶な自殺、《现实一种》の死体解体。 ・余華はさまざまなものを転覆しようとしている。《往事与刑罚》の時間に対する処刑は、歴史というもっとも権威のある最高のテクストの転覆。《世事如烟》は孝行の転覆、《一九八六年》は歴史の転覆、《现实一种》は家族倫理の転覆、《河边的错误》は探偵小説の転覆、《古典爱情》は才子佳人小説の転覆、《鲜血梅花》は武侠小説の転覆。 ・余華は、中国文化の意味構造に対して最も敏感な作家であり、それに対して最も強く転覆を試みている作家である。この意味において、余華を五四作家に最終的には回帰させて超越させる。 PR