忍者ブログ

中国文学映画関連 備忘録

余华《没有一条道路是重复的》収録エッセイ7

「奢侈的厕所」
豪華なトイレに関して。トイレという蔑まれる場所が気付かない内に豪華になったことの意味。また、昔トイレに刻まれていた性的な言葉やイラストは、性に対する抑圧を物語っていた、という指摘。1995/1/2

「什么是爱情」
朱徳庸氏のマンガ《双响炮》に関して。《双响炮》は弱い男と強い女からなる中年夫婦の結婚の危機と、生活の悩みに関して。2003/1/5

「虚伪的作品」
余華の創作に対する態度に関するエッセイ。非常に意味深長。1989/6

「川端康成和卡夫卡的遗产」
余華が愛読した川端康成とカフカの小説に関して。1982年から川端康成を愛読するようになり、1986年からカフカを愛読するようになった、と余華は記しています。そして、カフカによって川端康成の呪縛からも解き放された、と指摘しています。1989/11/17

「文学中的现实」
文学のなかの現実に関して。『死者たちの七日間』を予見させるエッセイとなっています。

余華は、文学における現実を考える上でたとえば二つの事件が参考になる、と記します。トラックの衝突事故と、飛び降り自殺の事件です。その二つの事件に注目したのは、「なぜならば、二台のトラックが衝突した時、発生した巨大な物音が、公路の両脇の木の上にいた雀をばらばらと地に落として、高層ビルから飛び降りて自殺した人は激烈な衝突によって彼のジーンズが破裂させられたからだ」そうです。その点によって記憶に留められるからこそ、文学の中の現実になるというのが余華の論理です。
また、細部によって、文学の中の現実を成立させている人たちとして、ダンテ、ボルヘス、ユルスナール(尤瑟纳尔・フランスの小説家)を取り上げています。言及されているのは、ダンテのはなたれた矢の表現(的にあたり、矢が放たれた)、ボルヘスのもう一人の自分に会った際の声の表現(録音機からきこえるよう)、ユルスナールの林の切断されたが再接合する際の表現(首にまきつく奇怪な紅いマフラー)。2003/3/10
PR