竹内好「現代支那文学精神について」 中国関連の本(日) 2017年12月02日 0 「現代支那文学精神について」は竹内好が1943年7月『国際文化』に発表した文章。『竹内好セレクションII アジアへの/からのまなざし』収録。 竹内好らしい文章なので、意味をとりづらいですが、基本的には中国に対する考えが表明されています。 竹内好は、古典を通して中国を理解しようとする立場、あるいは過去との連続性を通して中国を理解する立場を批判します。そして、近代を実現する中国に目を向けるべきとします。 近代化した世界がどう中国を取り込んだか、ではなく、中国がどう近代化を果たしたか、というふうに中国を主語として、近代化を考えていき、五四新文化運動をその契機とみなすべきと主張しています。 まとめの部分は暗示的です。 「現在の支那は、文化的にはまことに荒涼たるものがある。表面に現われた動きは殆ど何一つ把えることが出来ぬ。たまに動きに似たものが浮遊しても、それは逆に沈黙を深めるだけに過ぎぬ。しかし、その沈黙の底には、爆発するものが潜んでいる気配がある。それを思うと、私たちは戦慄を禁じ得ぬ。五四以後の文学精神は、表面の活動を阻碍されていても沈黙の底に脈々と流れていそうな気がする。その精神の本拠を衝くのでなければ、表面に泛んだ泡沫的現象など把えてみとたころで、何もならぬと思われる。現在の支那民衆の第一の念願は、私の信ずるところでは、彼らの近代を貫くことである。つまり国民的統一を完成することである。云い換えれば彼らの現代文学を描くことである。仮に私たちの大東亜文化の理想がこの方向に背馳するものであるとするならば、私たちは彼らの協力を求め得ぬだろう。逆に、現代支那が全き体系として包括される場所へは、彼らは欣んで従うだろう。ただ、そのような場所は、近代日本と近代支那が同列に否定されることによって全く生かされるような場所でなければならぬが、その実現のためには、異常な決意と努力が私たちに要求されるだろう。」 PR