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中国文学映画関連 備忘録

溝口雄三、伊東貴之、村田雄二郎『中国という視座』3

溝口雄三、伊東貴之、村田雄二郎『中国という視座』は、三人の学者が儒教という観点から中国を考察したもの。

「2 中国近世思想史における同一性と差異性―「主体」「自由」「欲望」とその統御」は朱子学を内部から読み解いていこうとするもの。執筆者は溝口雄三。

内容においては「1 中国近世の思想世界」と重なる部分があります。

「中国近世思想史におけるフーコー的主題の変奏」では西洋哲学とも対応させながら、中国の朱子学を検討していきます。西洋では、教会と懺悔が、個人や内面を生み出しましたが、中国においてはどうであるのかと検討していきます。非常に興味深いです。

「朱子学は何故「成功」したか―「静態学的」朱子学理解を超えて」
修身の学問として受容されたという指摘。

「儒教の民衆化とその逆説―旧中国の最終段階」
陽明学の特別視を諌めるような内容となっています。

「中国近世思想における「複数」性の挫折」
全く異質な欲望を抱く個人というものを中国の儒教は結局想定しえなかったのではないか、という指摘。同質化が求められるディストピアにならざるを得ないのではないかという疑念。そして、それは、現代における共産党の清廉さをもとめる政策にもつながったのではないかという指摘など。
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