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中国文学映画関連 備忘録

余华《没有一条道路是重复的》収録エッセイ3

《没有一条道路是重复的》は余華のエッセイ集。
 
「两个童年」と名付けられた前半部分は、自分の幼年期のことと息子の幼年期のことなどが綴られています。

「医院里的童年」
少年時代を振り返るエッセイ。祖父祖母に育てられることがなかったというはなし。父母は医者だったので忙しくてほとんど構ってもらうことがなかったというはなし。父親の自転車の後ろに乗ることができて非常にうれしかったという話。兄と遊んだはなし、苛められたはなし。手術室の記録をなくしてしまった話。文革の頃、兄がふざけて火事騒ぎを起こして、父親が周囲から徹底的に責められた話。病院宿舎で育ったため、遺族の泣き声を聞いて育っという話。ある夏、太平間で寝たら涼しくて気持ち良かったという話。1998/5/26

「麦田里」
父親に怒られると、よく麦畑に逃げ込んだ、というはなし。そして、夜になると戻って心配している父からギョーザをもらったというはなし。1998/2/23

「土地」
大地は寛容であり、全てを受け入れる、という内容。子供の頃の美しい農村風景。都市の子と農村の子の対立。ほらふきの少年が父親に殴られた時壁際にいて首の血管が切れて死んだこと。その遺体が埋められた墓は時とともに消滅したこと。都市の子と農村の子の対立の際、余華は農村の子に混ざり、一目置かれたこと。その代わり、葡萄を食べることができなかったこと。農村の子に騙されて、その子の祖父の葬式に同行して遠くまで冒険したこと。その帰りに余華を送ってくれた少年がとても大人に見えたこと。『活きる』のテーマに通じるエッセイ。1992/3/12
「包子和饺子」
子供の頃、バオズとギョーザが贅沢な食べ物だったこと。父親が小麦粉を買ってくると、バオズとギョーザどちらをつくるのかやきもきしたこと。父親の故郷・山東で塩辛いギョーザを食べたこと。「軍事訓練」として遠足に行く時、母からお小遣いをもらってお弁当としてギョーザを買ったこと。その際、兄からベルトを借りるためギョーザを一つあげたこと。天津に行った時、お腹が破れそうなほど狗不理バオズを食べて「百感交感」という言葉を思い浮かべたこと。1999/7

「国庆节忆旧」
国慶節にまつわる記憶に関して。パレードの準備のため、夜間長安街が通行不可になったこと。子供の頃、南方で育ったが天安門に憧れて、地元の写真館で天安門の写真をバックにして写真を撮ったこと。ドキュメンタリーの中で最初は毛沢東や壮大な花火に惹かれたが、のちには亡命してきた異国の国王の美しい妻に目を奪われたこと。剥き出しの瓦を隠すため父親が天井に古新聞を貼ったため、国慶節のたびに新聞に登場する毛沢東のうつりかわりを感じたこと、など。1999/9/19

「最初的岁月」
自伝的エッセイ。杭州で生まれて、五歳の時海塩に移り住み、病院の宿舎で生活、文革の壁新聞に衝撃を受けて、図書館ができると本をむさぼり読み、その後一年間医学の勉強を受けたが苦痛だったのでそれから逃れるため創作を始めた、というはなしなど。子供の頃、垣間見た農民の姿がとても印象に残っている、と記されていますが、その時持ったイメージが『活きる』に通じているのかも知れません。1994/4/5
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