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中国文学映画関連 備忘録

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張新穎《沈从文与二十世纪中国》

張新穎《沈从文与二十世纪中国》は、復旦大学教授・張新穎の沈従文に関する講義をまとめたもの。文体は、極めて平易です。


沈从文与二十世纪中国——从“关系”中理解“我”、文学、思想和文化实践
沈従文の文学に対する分析。張新穎が強調するのは名もなき人への目線、などです。

“联接历史沟通人我”而长久活在历史中——门外谈沈从文的杂文物研究
沈従文の文学者としての前半生と、文物研究者としての後半生は深い部分でつながっている、という分析です。たとえば、民間への注目、人の素朴な心への注目、名もなき人々が織り成しているのが歴史であるという認識などなど。

中国当代文学中沈从文传统的回响——《活着》《秦腔》《天香》和这个传统的不同部分的对话
沈従文の文学の特徴が、余華《活着》、贾平凹《秦腔》、王安憶《天香》と通じている、というような分析。

“剪辑”成诗:沈从文的这些时刻
沈従文の詩らしき創作に関して

唐敏《女孩子的花》、叶梦《羞女山》

唐敏《女孩子的花》
育てている水仙のことを綴ったエッセイ。水仙は夫婦をあらわしているかのような花だ。女子を愛するのでこの世界に女子を生みたくない、という思いから男子を生みたいと思う。そして、女子の花である水仙を育てるが、夢の中ではお湯の中に沈み、現実世界では蝋燭で自刃する。

不思議なエッセイ。

水仙に託して女性に対する著者の考えを綴っているようなイメージ。


叶梦《羞女山》
女性の裸体のように見える山を訪れた時のことを綴ったエッセイ。羞女山は恥ずかしがっているように見えない。著者は想像を広げて羞女山は実は女媧なのではないかと考える。

史铁生《我与地坛》

史铁生《我与地坛》は、車椅子作家・史鉄生がみずからの思い出をつづった散文。

母親への思い、地壇にあらわれた人たちの思い出などを綴っている。最終的には、哲学的な話題にも踏み込んでいき、なぜ生きるのか、なぜ書くのかといった問いに自分なりの答えを出す。

史鉄生はかつて、毎日のように地壇に行き、一人で過ごしていたという。その際自分の不幸のことばかり考えていた。一方、母親は何も言わず、送り出した。しかし、今思えば、母親こそがより苦しんでいたのではないかと史鉄生は推測する。

その上、史鉄生がデビューする二年前に母親は亡くなり、自らの成功を母親に見せることもできなかった。

知的障害のある少女の思い出を綴った部分で触れられる、苦難があるからこそ幸福が意味を持ち、醜さがあるからこそ美しさが意味を持つといった考え方は印象的。





三毛《不死鸟》,王小波《一只特立独行的猪》

三毛《不死鸟》
三毛は自分が死ねば夫と父母が悲しむので、家族のために暫時の不死鳥になる、と記す。

王小波《一只特立独行的猪》
文革時期、農村で労働に従事した時、出会った一匹の独立不羈な豚の物語。その豚は、人に管理される他の豚とは異なり、自由に振る舞う。王小波は豚を兄と慕う。豚が時間を知らせる汽笛の音を覚えて煩わしいため、人々は豚を殺そうとするが、豚は脱出する。

ブラックユーモアにあふれた作品。

        
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