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中国文学映画関連 備忘録

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見たことのある中華圏映画

・見たことのある中華圏映画

《马路天使》(1935■袁牧之■赵丹、周璇)
《红高粱》(1987■张艺谋■姜文、巩俐、滕汝骏■『紅いコーリャン』)
《客途秋恨》(1990■许鞍华■陆小芬、张曼玉)
《活着》(1993■张艺谋■葛优、巩俐■『活きる』)
《霸王别姬》(1993■陈凯歌■张国荣、巩俐、张丰毅■『さらば、わが愛』)
《大话西游之月光宝盒》(1994■刘镇伟■周星驰、朱茵、莫文蔚、蓝洁瑛、吴孟达、罗家英■『チャイニーズ・オデッセイ Part1 月光の恋』)
《饮食男女》(1994■李安■郎雄、吴倩莲、杨贵媚、王渝文■『恋人たちの食卓』)
《好男好女》(1995■侯孝贤■伊能静、林强、高捷)
《小武》(1997■贾樟柯■王宏伟■『一瞬の夢』)
《鬼子来了》(2000■姜文■姜文、姜鸿波、香川照之■『鬼が来た!』)
《绿茶》(2002■张元■姜文、赵薇■『緑茶』)
《色,戒》(2007■李安■梁朝伟、汤唯、陈冲、王力宏■『ラスト、コーション』)
《赤壁》(2008、2009■吴宇森■金城武、梁朝伟、林志玲、张丰毅、张震、赵薇、胡军■『レッドクリフ』)
《海角七號》(2008■魏德圣■范逸臣、田中千绘、中孝介■『海角七号 君想う、国境の南』)
《梅兰芳》(2008■陈凯歌■黎明、章子怡、陈红、孙红雷■『花の生涯~梅蘭芳~』)
《让子弹飞》(2010■姜文■姜文、周润发、葛优、刘嘉玲、陈坤■『さらば復讐の狼たちよ』)
《山楂树之恋》(2010■张艺谋■周冬雨、窦骁■『サンザシの樹の下で』)
《那些年,我们一起追的女孩》(2011■九把刀■柯震东、陈妍希■『あの頃、君を追いかけた』)
《中国合伙人》(2013■陈可辛■黄晓明、邓超、佟大为■『アメリカン・ドリーム・イン・チャイナ』)
《天注定》(2013■贾樟柯■姜武、王宝强、赵涛、罗蓝山■『罪の手ざわり』)
《西游记之大圣归来》(2015■动画电影)
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賈樟柯『四川のうた』《二十四城記》

『四川のうた』《二十四城記》は、賈樟柯監督が2008年に制作した中国・日本合作の映画です。四川に存在した、ある工場の解体を描いています。

「420工場」と呼ばれてきた四川郊外の国営工場が閉鎖されます。そして、その跡地に、二十四城と名付けられた無数の高層マンションが建設されます。『四川のうた』では、「420工場」と関わりを持つ様々な人たちに対するインタビューの形式で、人々の歴史が語られていきます。

「420工場」は、もともと空軍飛行機のエンジンなどを製造する工場でした。しかし、環境の変化を受けて家電製品の製造に転換、そして、遂に閉鎖、移転されることになります。工場の中に福利厚生の設備がすべて整っていて、住民は一貫して「420工場」の中だけで生きてきました。そのため工場の閉鎖は多くの人たちの生活に甚大な影響をもたらしました。

事実と虚構が組み合わされています。8人の関係者に対するインタビューが収録されていますが、その内4人は中国でも著名な役者であり、そのストーリーはフィクションです。賈樟柯は、事実と虚構を組み合わせることによって、中国の歴史の中での変化という主題をより分かりやすく伝えることができる、と判断して、この構成にしたようですが、観客を考えさせる仕組みになっています。

エピソードと対応した音楽も印象的です。山口百恵の「赤いシリーズ」が中国でもヒットしたため、山口百恵は中国でも非常に有名でした。『四川のうた』の中では、そのエピソードとともに、『赤い疑惑』の主題歌が流れます。その他、斉秦の《外面的世界》も、非常に心を打ちます。

とくに印象に残るのは、趙涛が演じる蘇娜のエピソード。蘇娜は「420工場」の労働者の娘として育ちました。当初は父母に対して良い印象を持たず、彼氏のもとを渡り歩いていました。しかし、母親が工場で男か女かも分からない格好で働いている様子を目にして、心をいれかえます。そして家に帰り、バイヤーとして成功します。今は、さらに大金を稼いで、父母のために二十四城”の部屋を買うことを目指していると語ります。さらに、労働者の娘だからこそ、それは実現できる、と言い放ちます。

5/24『活きる』(《活着》・1993年)

『活きる』(《活着》・1993年)は張芸謀監督が制作した映画作品。余華の小説を原作としており、第二次世界大戦前後から文化大革命にいたるまでの激動の時代を生きた中国のひとにスポットをあてています。

1940年代の国共内戦、1950年代の大躍進、1960年代の文化大革命などを背景として、その中で生きるひとたちを描き出しています。世界的に評価されましたが、中国では政治的な理由のため放送禁止になりました。

映画上映をお手伝いして、改めて見直すことができて良かったです。物語の軸となるのは、福貴(葛優)、家珍(鞏俐)夫婦の物語。

放蕩息子の福貴は賭博に負けて屋敷を失い、妻の家珍は賭博をやめないので彼のもとを去ります。すべてを失ったかに思えましたが、賭博をやめた後家珍が戻ってきたので、福貴は影絵芝居をして、家珍と二人の子ども(鳳霞、有慶)を養います。国民党軍に捕まると従軍して、大砲をひきます。こんどは共産党軍に捕まると兵士を慰撫するため影絵芝居を行います。その後国共内戦が終わると福貴は帰郷して家珍と再会して、生活を回復します。50年代、大躍進が始まると、上流階級は一斉に弾圧されます。時には見せしめのための処刑も行われました。各家庭は鉄を供出して砲弾を作るための鉄塊を練り上げることになります。福貴は工場で人々を奮い立たせるため影絵芝居を行い、評価されます。しかし、区長に出世していた旧友・春生が起こした自動車事故で有慶を失います。60年代、文化大革命がはじまると、知識人や当時の統治者に対する批判と弾圧の嵐が吹き荒れて、毛沢東を崇拝する紅衛兵が主要な施設を占拠します。その環境下にありながら、鳳霞はぶじに良いひとと出会い

結婚、妊娠します。出産の際、赤子・饅頭は無事に生まれます。しかし、鳳霞は経験不足の若い看護士たちのミスにより流血がとまらなくて死亡します。福貴は、病身の家珍を看病しながら、孫である饅頭を育てていくことになります。。。

幸福のあとには不幸が、不幸のあとには幸福がつらなるようにして訪れます。その二つは表裏一体のようになっています。たとえば、福貴は賭博によって屋敷を失いますが、その結果として皮肉なことに共産党政権が成立したあと地主に認定されず助かります。一方、娘・鳳霞が孫を生んだ時には、若い看護士たちのミスにより娘が命を落とすことになります。その上、ある一つの場面において悲劇と喜劇が混然一体となっていることも特徴です。笑うべきなのか泣くべきなのか分からない場面もあります。

物語は、全体としては確実なものがどこにもない、非常にシュールな世界を描いています。共産党政権下で成功して地位を得た人たちは、文化大革命が始まると、走資派と認定されて一転して迫害を受けることになります。断続的に社会が変動、そのたびに立場や位置付けが完全に逆転して、敵とみなされたものに対する迫害の嵐が巻き起こるとしたら信じられるものはなくなります。しかし、過去の中国は実際にそのような状況にあったのだということを映画は端的に示そうとしています。

余華の原作との共通点や相違点もまた興味深いです。映画版が描き出した、希望を感じさせるようなラストシーンは印象に残ります。救いがあることによって、映画としてはみやすくなっているように思われます。

『活きる』は、中国人が、中国の歴史をどのように対象化しようとしてきたのか、といったことを考える際きわめて大きな手がかりになります。歴史の捉え方には、歴史を捉えようとする人の関心が反映されるものであり、逆に観察者の思想や関心のあり方によって再構成されたものが歴史といえます。第二次世界大戦や大躍進、文化大革命、改革開放の記憶をどのように再構成して解釈するのか、という問題は、その結果としての現在をどのように評価するのかという問題とつながっています。大躍進や文化大革命を不合理な一時的脱線とみなして、中国は一貫して進歩していくべきだと考えるのか。あるいは、進歩やモダニズムを両義的なものとして再考するべきだと考えるのか。 『活きる』はどちらかといえば後者に属するのでは、と今考えていますが、少なくとも単純に枠に当てはめて解釈することができる作品ではないと感じます。

《中国合伙人》

《中国合伙人》は、三人の学生が様々な失敗に直面しながら起業して中国一の塾をつくりあげる青春映画。監督は陈可辛、主演は黄晓明、邓超、佟大为。

成东青(黄晓明)は農村出身の田舎者です。二度高考に失敗した後、遂に大学に合格します。そして、優秀かつ自信にあふれた孟晓骏(邓超)や、文学を愛好する詩人的な王阳(佟大为)と出会います。三人は、八十年代のほかの学生たちと同じように、アメリカン・ドリームを胸に抱き、英語を必死に勉強します。ビザを申請した結果、孟晓骏と佟大为は成功して成东青は失敗します。

孟晓骏はアメリカ留学に成功して研究室に所属します。しかし、理想と現実は異なり、外国人であるがゆえに冷遇されます。そして、結局研究室をやめざるを得ず、カフェで働くことになります。王阳はビザを得たのに、アメリカ人女性との恋愛を優先して、中国に留まります。成东青は一人中国と留まり、燕大で教師になります。しかし、大学時代からの彼女はアメリカ留学に旅立ち、最後には別れます。さらに、大学に学外で勉強を教えていることを知られて学校を公式に追い出されます。そして、正真正銘の失敗者となってしまったのです。

すべてを失った成东青はケンタッキーで英語の塾を始めます。そして、その独特の自嘲を含んだ教育法により多くの学生をひきつけていきます。結果として、彼はその塾によって成功をおさめることになります。塾の規模は次第に大きくなり、成东青は王阳と手を組みます。さらに、成东青はアメリカから戻ってきた孟晓骏も招き、“新梦想”という学校をつくります。成东青の自嘲を含んだ教育法、孟晓骏のアメリカビザ申請講座、王阳の映画を取り入れた講座によって、学校は大成功します。

学校は中国一の規模となり、成东青はメディアに取り上げられて留学教父と称されます。そして、田舎者から指導者に変わっていきます。しかし、株式上場などをめぐって成东青と孟晓骏の確執は激しくなり、王阳は右往左往します。王阳の結婚式の夜、三人は決裂して孟晓骏は沈阳に去ります。その後、アメリカのETSによって訴えられて“新梦想”は危機に陥ります。しかし、三人は再び結束してアメリカに赴き、その訴訟を切り抜けて、株式上場に漕ぎ着けます。

英語タイトルはAmerican dreams in China。

世界を変える、というフレーズが繰り返し使われます。自分たちが世界を変えるのだという理想、それを逆転した世界が自分たちを変えるだけだという諦観、などは青春映画でよく扱われるテーマです。

映画の中で、海阔天空が流れます。非常に気持ちを揺さぶられました。

映画を見た後、インタビュー番組《看见》を見ていました。《中国合伙人》ブームを受けてモデルとなった新东方立ち上げ人の三人にインタビューした回がありました。聞き取ることができない部分も多々ありましたが、映画と現実は少し異なっているということを知ることができました。とくに、成东青に相当する俞敏洪という人のあり方は興味深かったです。情に厚く、人の意見を聴き入れる度量があるということが感じられました。ただ、会社に母親を招き入れて混乱を引き起こす側面もあったそうです。情に厚いことが良くも悪くも機能しているということなのだろうか、と考えました。

俞敏洪は1985年に北京大学を卒業しており、同級生はほぼ全員が海外に留学したそうです。背景には当然アメリカンドリームに対する憧れがあったのだろうと思います。当時、中国の優秀な学生から見たら、そこまで外の世界が魅力的に見えた、ということの意味に関して考えられたら面白いと思いました。

成东青は現地で北京大学の教師として六四天安門事件を経験したはずです。映画は時系列にそって物語を展開していきますが、成东青が天安門事件に直面する場面はありません。改めて、触れられることのない天安門事件に関して考えるとしたらどういう意味を持つのかと考えました。中国における青年の理想の挫折を考える上では、六四天安門事件は欠かすことのできない話題のはずです。

《马路天使》(1935)

《马路天使》(1935)は、1930年代に中国上海で製作された白黒映画。監督は袁牧之。

物語の舞台は、当時の中国上海。小红(周璇・妹)と小云(赵慧深・姉)姉妹は東北から上海に来ました。二人は経済的に苦しいため、小云は娼妓として働き,小红は茶楼で琴師に従って歌を歌っています。小紅は、向かいに住んでいる隣人、ラッパ吹きの小陈(赵丹)と惹かれあいます。そして、時には、こっそりと会うようになります。

姉妹は琴師が小红を金持ちに紹介しようとしていることを察知して小陈に助けを求めます。小陈たちは最初弁護士に相談しましたが金がなくて相手にされません。小陈とその友人たちは、小红を伴って逃亡することを選びます。そして、彼らの新生活は始まります。しかし、琴師と金持ちによって、居場所を突き止められて問答になります。小紅は逃亡に成功しましたが、小云は揉みあいの結果、傷を受けます。医者は大金を要求して現れず、最終的に小云は亡くなります。

上海の映画。

映画には喜劇としての側面と、愛情の物語としての側面があります。メリハリがきいています。映画のテンポ、ギャグなどは今見ても理解できてしかも面白いと感じられる、ということを中国人の留学生は述べていました。

《马路天使》は「映画は上海社会の低層におかれた人々の苦しい生活と暗黒の一面を描き出している」と中国では評されているそうです。1930年代の左翼映画の代表作として今でもよく言及されています。貧困や格差の問題が扱われており、弁護士や医師が金銭のために動いて、貧しい人を助けない点などはリアルです。

また背景のセットなどが時代を感じさせて面白いです。なんとなく、演劇を想起しました。

また改めて見直してみたいです。