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中国文学映画関連 備忘録

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6/23『罪の手ざわり』

賈樟柯『罪の手ざわり』 《天注定》(2013)は中国社会で生きる人たちを描いた映画。

映画の中では主に4つの物語が描かれています。

山西省山村の炭鉱で働く労働者・大海は、炭鉱を買い取って成功した実業家が村に利益を還元しておらず、その不正に村長、会計係も関与していると考えます。大海は実業家を問い詰めます。しかし、逆にその手下にスコップで殴られて頭に包帯を巻きます。その姿がゴルフボールに似ているからかゴルフと皆から揶揄されます。大海は自宅にいた会計係とその妻、廟を訪れていた村長、職務中の実業家のもとに赴き、次々銃殺していきます。

四川省重慶付近の農村に家を持つ男は、出稼ぎに出ると家族に言い、実際には中国各地で強盗殺人を繰り返しています。大晦日を祝うため帰ってきた男に対して妻は帰郷を願います。しかし、男はつまらないと言って拒否します。そして、また出掛けて行き、躊躇することなく人を射殺して金を奪います。

湖北省の町・宜昌で風俗サウナの受付嬢をしている小玉は、広東省で工場長を務める男と不倫しています。付近では空港建設が進み、騒動も起こっています。その後、不倫が妻に知られて、小玉は襲撃されます。その後、サウナを訪れた男に娼婦扱いされて関係を迫られて何度も殴られます。小玉は思わずその男を果物ナイフで刺殺して、血塗れになり、夜の街を放浪します。しかし、最終的には自ら警察に電話をかけて自首します。

工業で働いていた少年・小輝は無駄話をして友達に怪我をさせたため、友達が治癒するまで給料を渡すことになり、嫌になって仕事を辞めます。その後、広東のナイトクラブ中華娯楽城で働き始めて、そこで働く風俗嬢の蓮蓉と出会います。小輝は蓮蓉とともに生きていくことを願いますが、蓮蓉には3歳の娘がいて頓挫します。小輝は台湾系企業の工場に転職します。しかし、母親から電話で延々責め立てられて、その上怪我をさせた友達が罪を問うためあらわれます。小輝は追い詰められて自ら命を絶ちます。

ようやく『罪の手ざわり』を見ることができました。4つの物語は、すべて現実に起きた物語を基にしているそうです。

京劇や画面の中の映像が、物語とリンクしていて興味深いです。大海が連続殺人に踏み出す場面で、群衆が見ているのは、水滸伝の登場人物・林冲が冤罪を着せられて無罪を叫んでいる京劇の場面です。冷酷な強盗殺人犯は、深夜バスで突然下車します。理由はわかりませんが、もしかしたら、テレビの流す銃撃シーンが気に障ったのかも知れません。そして、映画のラストで、小玉が見ているのは、冤罪を着せられて自白を迫られる女性の京劇『玉堂春』だそうです。

大海は、中南海にいる共産党の高官たちに村の不正を伝えたら、状況は改善するに違いないと考えて手紙を書こうとします。しかし、結局手紙を出すことはかないません。その中央との距離に関しては考えさせられます。全体を通して、浮き上がってくるのは正義や裁きの問題です。

「急激な市場経済が中国社会にもたらしたひずみを描いた」といった評論が数多くあり、たしかにその通りだとも感じます。ただ、この物語が描いているのは、中国に固有の問題といえるのかは分からないです。日本にも、質や程度の差はあるとしても同種の問題はあるはずです。

劇中に登場する多くの動物(馬、蛇、ふくろう、牛、金魚など)は印象に残ります。それから、言語に関しても興味深かったです。セリフが山西や広東の方言のため、字幕がなければ理解することができなかったです。
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6/17 『緑茶』

『緑茶』(2002)は、張元監督による中国の恋愛映画。

三人?の登場人物を中心にして物語はすすみます。最近女性に振られたと語る中年男、陳明亮(姜文)。奇妙な友人の物語を語りつづける堅物の大学院生、呉芳(趙薇)。それから、呉芳と瓜二つの容貌で、誘われたら誰の相手でもすると噂の美貌のピアニスト、朗朗(趙薇)。

陳明亮と呉芳はお見合いの席でたまたまた出会います。陳明亮は呉芳を追いかけますが、呉芳は陳明亮に対して奇妙な友人の物語を語り、一方では毎日のように様々なお見合いに出かけます。陳明亮は友人から唆されて、朗朗を誘います。陳明亮は、朗朗が呉芳とよく似ていることに驚いて問い詰めますが、朗朗は全く相手にしません。朗朗と呉芳が同一人物なのかそうではないのか陳明亮は混乱します。

また、呉芳の語る奇妙な友人の物語は、実際は呉芳自身の体験のようであり、父親殺しや母親の服役といった重い話題にまで発展していきます。

張元は「中国第六世代監督」の旗手の1人として数々の国際的な映画祭で評価されています。しかし、1998年まで張元は公式には映画撮影を禁止されてインディペンデント映画の世界で活動しており、中国で彼の映画が上映されることもなかったそうです。もしかしたら、中国ではあまり知られていないかも知れません。賈樟柯と似たようなパターンです。

国外の人たちが日本に対して抱いているイメージと、国内の人たちが日本に対して抱いているイメージが大きく乖離しているのではないか、と感じることはよくあります。同じように、中国のイメージも、国内と国外では大きく異なるはずです。そのずれに関して考えることができたら、非常に面白いのではないか、と映画を見ていて感じました。

『緑茶』は、張元が本格的にメジャーな映画界に戻った後制作された作品だそうです。商業映画であることを強く意識していると一般的には評価されており、陳明亮を演じているのは姜文、呉芳と朗朗の二役を演じているのは趙薇です。ただ、決して単純明快というわけではなく、不自然なほど登場人物の顔に寄るカメラワークや観客を謎に落とし込む展開は興味深いです。

6/1 《飲食男女》

《飲食男女》(1994)は李安監督が制作した家族に関する台湾映画。邦題は『恋人たちの食卓』。

ホテルの料理長・老朱は、男手一つで三人の娘を育て上げました。毎週日曜、家族は集まり、ともに老朱のつくった料理を食べるため食卓を囲みますが、娘たちの成長にともなって父と娘の関係には不調和が生じます。また、家珍の友人で離婚経験のある錦栄とその娘も老朱の家に時々訪れるので、老朱はその娘のために弁当をつくるようになります…

老朱が料理をつくる場面はみていて、とても楽しいです。また、台湾の風景にも惹かれます。

家族の関係に関して、様々なことを考えさせられました。

長女・家珍は、キリスト教を信じており、高校教師をつとめています。学生時代の失恋で負った精神的トラウマのため恋愛を忌避している、と周囲の人間は思っていますが、後にその恋愛の記憶が恐らく事実ではない、とわかります。長女だから、母親のかわりになろうとして自分を抑圧・犠牲にしてきたと言えそうです。

結局、家珍は三女・家寧の妊娠や、次女・家倩との会話などに突き動かされるようにして結婚、家から去ります。仮の母親としての役割を終えて、自分の人生に踏み出したと解釈することが出来そうです。

三女・家寧はまだ大学生ですがファストフード店でアルバイトをしています。バイト先の友達の彼氏と付き合うようになり、妊娠して誰よりも早く家を出て行きます。三人姉妹の中では比較的描写が少ないのですが、三女・家寧が去ったことにより、物語は大きく動きます。

次女・家倩は、航空会社に勤務しています。父譲りの料理の腕と、母譲りの強情を併せ持つと評されます。優秀なので会社では重要な役目を担い、美貌のため彼氏もいて、自己実現に成功しているといえます。そして、父親のもとを誰よりも早く離れようとして自ら建設中のマンションを購入します。しかし、その住宅は建設中止になり、貯金もほぼ使い果たします。

一見最も奔放かつ自由に見えた家倩が、結局最後まで家に留まることになります。そして、家倩のつくった料理によって老朱は一度失った味覚を取り戻します。その不調和と和解が、物語の軸になっています。

長女三女結婚の後、老朱は結局、年齢的にだいぶ若い錦栄と付き合います。娘たちが成長して、前妻との記憶に区切りをつけたから、といえます。その交際の結婚の宣言をした際、錦栄の母親は激しい抵抗を見せます。錦栄の母親は、恐らく老朱を組みしやすい再婚相手の候補とみていたのに、娘と結婚するとなれば自分の計画は崩れるので、抵抗したと読み取ることが出来ます。その抵抗の場面だけ、映画全体から浮き立つように強烈です。

映画の中では、抑圧が一つのテーマになっているようです。映画は基本的に、父(老朱)、母の代わり(家珍)としての役割を果たすため自分を抑圧してきた人が、今の自分の感情に対して素直になる、という展開と言えます。また、社会的成功のために、料理作りの道を諦めていた次女・家倩は最終的に再び料理作りにも踏み出します。

また、記憶との向き合い方も一つのテーマとなっているように思われました。過去において問題を抱えた場合、その問題は今の時点においてどう解消・整理することができるのか、という点が何度も取り上げられています。

5/21『花の生涯〜梅蘭芳〜』

『花の生涯〜梅蘭芳〜』(2008)は陳凱歌監督によって制作された、梅蘭芳という京劇役者の人生をモチーフにした映画。

梅蘭芳が新しい京劇を目指して熱烈な支持を集めたところから始まり、アメリカでも公演を成功させて京劇を世界的に有名にするまでが描かれています。また、彼が日本統治時代に沈黙して、第二次世界大戦後復活した点も触れられています。当然、フィクションではありますが、史実には一定程度忠実だそうです。

出演しているのは、黎明、章子怡、陳紅、孫紅雷、余少群ら。

物語の軸となっているのは、梅蘭芳、邱如白、十三燕、福芝芳、孟小冬といったひとたち。

新しい京劇を目指して、世間から熱烈な支持を集める梅蘭芳。梅蘭芳の京劇を世間に広めるために官職を捨てて奔走する邱如白。梅蘭芳に京劇を教えながら変化を否定して梅蘭芳に敗れ去る師匠の十三燕。梅蘭芳の妻として生活や自身の役者人生も犠牲にした福芝芳。梅蘭芳と惹かれ合いながら、梅蘭芳の京劇のために思いを犠牲にする若き孟小冬。

陳凱歌監督が再び京劇をテーマとして取り上げたため『さらば、わが愛』《覇王別姫》を思い浮かべますが趣きは随分異なる、と多くの人が指摘しています。

映画が描き出すのは、京劇に全ての時間を奪われるため、愛する人といっしょに映画を見に行くといったささやかな幸せすら味わうがことできない梅蘭芳の悲哀や、京劇に魅惑されたためある意味人生を狂わされる人々の姿です。人を突き動かす芸術とはどのようなものであるのか、全般的に描き出そうとしているように読み取ることが可能、と感じました。

陳凱歌や張芸謀の作品は、時として、中国の評論家から、西洋が形成してきたエキゾチックな中国イメージに適合したために世界的な成功をおさめた、と評されます。そのため、否定的にみられることもあります。『花の生涯〜梅蘭芳〜』もまた京劇を扱った作品であり、中国らしさや、その表現の方法に関して考える上では面白い作品になるかも、ともちょっと考えました。

4/23『霸王别姬』

陳凱歌『霸王别姬』(1993)をようやく見ました。京劇を中心に据えた香港中国合作の歴史映画。絶対見るべきと勧められていたのですが、見て良かったです。

物語の軸となるのは、京劇で虞美人を演じる程蝶衣・小豆子(張國榮)、項羽を演じる段小楼・石頭(張豊毅)、段小楼を愛する娼婦の菊仙(鞏俐)。

民国、日本軍、国民党、共産党とめまぐるしく統治者が変わる中、三人は激しい時代の流れに翻弄されます。京劇と段小楼に対して強烈な思いを持つ程蝶衣。段小楼との平穏な生活を望む菊仙。二人の思いに答えきれない段小楼。三人は時に支え合いながら、時に傷つけ合うこととなります。

各々の登場人物たちのイメージが非常に鮮烈です。小豆子をなんとしても手放さなければならない娼婦の母。小豆子と石頭に壮絶な訓練を強いる師匠。文化大革命の時期にあらゆる文化をぶち壊して文化人に自己批判を迫る紅衛兵たち。

共産党統治下、文化大革命の時期に中国を包んだ目を背けたくなるような状況に関しては、他の文学作品や映画作品でも取り上げられていますが、『霸王别姬』でもしっかりと描き出されています。

また、作中では日本軍人もまた京劇に対して一定の理解を示して尊重した、という設定になっています。その点などは非常に興味深いです。

見ていて、たくさんのことを考えさせられて本当に凄いな、と思いました。なかなか、まとめることができないです。