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中国文学映画関連 備忘録

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『温暖和百感交集的旅程』収録エッセイ

『温暖和百感交集的旅程』は、余華のエッセイ集。《读书》という雑誌の連載をまとめたものだそうです。

 我能否相信自己
見方は常に古臭くて時代遅れだが事実は永遠に古臭くない、というシンガーが兄から聞いた言葉などを引用しながら、見方と事実に関して余華が自分の考えを綴っていきます。言及される小説家は、アイザック・バシェヴィス・シンガー、ミラン・クンデラ、ボルヘスなど。

温暖和百感交集的旅程
余華が自分に影響を与えた小説家に関してまとめた文章。まず言及されるのは、川端康成の『伊豆の踊子』、カフカ『流刑地にて』。その他、ガルシア=マルケス「火曜日の昼寝」、ブルーノ・シュルツ『鳥』、ジョアン・ギマランエス・ローザ「河の第三番目の岸」?、シンガー「馬鹿のギンペル」、魯迅「孔乙己」、ボルヘス「南方」、ハルドル・ハクスネス「青魚」?、スティーブン・クレイン『オープン・ボート』?など。
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『我们生活在巨大的差距里』収録エッセイ5

附录一《兄弟》创作日记
《兄弟》を執筆・発表した当時のさまざまな考えに関して。「文学の言葉は人によって鑑賞される美しい瞳ではなく、何かを見抜くための眼光そのものであるべき」という考えなどが記されています。「看见」という言葉をキーワードとして使っていて興味深いです。

その他、「角度小説」「正面小説」という考え方と《兄弟》は「正面小説」だという見方、下巻がより開放的な理由、上下巻の叙述の差異は内容に左右されているという主張、過去に関しては共通認識が成り立つが現代に対しては立場によって見方が様々だという認識、他者を理解しようとするべきという主張、人称の問題、パンドラの箱が開けられてしまった時代の一員としての責任などが綴られています。

附录二《第七天》之后
《第七天》に対する解説。フォークナーなどに言及。

『我们生活在巨大的差距里』収録エッセイ4

关键词:日常生活
余華の創作にとって最も基点になっているのは、日常生活だということを綴った文章
在日本的细节里旅行
2006年8月国際交流基金に招かれて日本の東京、鎌倉、札幌、小樽、京都、奈良、大阪を旅行した時のはなし。川端康成をはじめとした日本文学に対するイメージ(こまやか)、北海道での居酒屋のはなしなど。
耶路撒冷&特拉维夫笔记
2010年5月2日~5月8日、文学関連の集まりでエルサレム、テルアビブに行ったときの日記。博物館で改めて感じたユダヤ人の歴史の悲惨さに対する衝撃、地中海で感じた融和など。

篮球场上踢足球
魯迅文学院にいた時、サッカーをする人たちがバスケをする人をバスケのコートから追い出したというはなし。莫言、馬原、史鉄生などが登場。

南非笔记
2010年6月19日~7月11日、南アフリカでおこなわれたワールドカップに行った時の日記。

英格兰球迷
2002年日韓サッカーワールドカップの時、北京・香港・シドニー・メルボルン・ブリスベン・香港・ロンドン・ダブリン・北京を旅行。その際感じたイングランドのサッカーファンの情熱に関して。
埃及笔记
2011年1月25日~29日、エジプトを訪れた時の記録。デモと遭遇したことなど。

迈阿密 & 达拉斯笔记
2011年5月31日から、NBAを見るため、マイアミとダラスをめぐったときの日記。
纽约笔记
2011年10月31日~12月3日の、ニューヨークを訪問した時の日記。腐敗、大学院への寄付金、米中の出版事情のはなしなど。

非洲
アフリカという言葉から連想される二つのことに関して。子供の頃、中国人がアフリカで積極的に貢献して、稲を植えたという報道を見たが、フランスでトーゴ系の記者から、中国人は稲を植えると同時に多くの中国アフリカ混血児をのこした、といわれた、というはなし。
酒故事
ノルウェイで飲んだ酒に関して。船に積まれて赤道をぐるりと回ってきた酒は熱いとノルウェイ人は言うのに、かえって冷たく感じて、北極を回ってきたのでは、と感じたというはなし。
儿子的固执
息子・余海果の独特できらりと光るさまざまな表現に関して綴ったエッセイ。
写给儿子的信
息子・余海果に向けて書いた文章。もともとは息子が小学校一年の時、学校の先生に求められて書いたそうです。

余海果が《许三观卖血记》を原作にして、映画をとるというニュースがあるので、少し気になります。
http://yaoxinyid.cn/home/2015/10/06/31064.html


余華『血を売る男』

『血を売る男』(原題《许三观卖血记》)は中国の小説家・余華の執筆した小説。日本語版は飯塚容訳。製糸工場で働く許三観が危機に直面するたびに血を売ってお金を稼ぎ、生き抜いていく物語。


中国において、一般的だった売血に関して扱った小説。


余華は、デビュー当初、実験的な文体で知られる先鋒文学の一員とみなされていました。しかし、《活着》に続き、《许三观卖血记》でも平易な文体で時代に翻弄されながらも逞しく生き抜いていく人間を生き生きと描き出しました。

《活着》と同じく、物語の背景として大躍進政策、文化大革命などの出来事が描かれています。ただ、《许三观卖血记》は、深刻な問題を扱いながらも希望があります。《活着》の絶望にあふれた展開とは対照的です。

韓国で映画化されているそうなので、見てみたいです。

『我们生活在巨大的差距里』収録エッセイ3

伊恩・麦克尤恩后遗症
イアン・マキューアンが様々な文学から影響を受けながら自分の文学を育んだ、という考察。良い文学は自分を問い返させる、という考えなどが綴られています。
両位学者的肖像
弟子のマルムクイスト(马悦然)によってまとめられたスウェーデンの中国学者カールグレン(高本汉)の伝記を読んで考えたことをまとめたもの。方言学の授業を思い出しました。
罗伯特・凡德・休斯特在中国摁下的快门
Robert van der Hilstが中国の各家庭に赴き、撮影した写真を受けて、余華が一般の家庭にこそ客を歓待する、という中国の伝統が残っていると記した文章。
我们的安魂曲
アメリカで英語を用いて創作する小説家・哈金が南京大虐殺をテーマに執筆した『南京安魂曲』に関して。
一個作家的力量
哈金の執筆した『等待』に関して。
失亿的个人性和社会性
スウェーデンの小説家シェル・エスプマルクの小説『失亿』に関して。中国の現状にも通じる部分があると指摘。
茨威格是小一号的陀思妥耶夫斯基
ツヴァイクはドストエフスキーを読むための段階となった、というはなし。
大仲马的両部巨著
大デュマの作品こそ、文学を読み始める時、そして文学を読み終える時にふさわしいと指摘。