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中国文学映画関連 備忘録

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余华《朋友》

《朋友》は、余华が執筆した短編小説。

1998/10/7

力強さのため町で恐れられている昆山と、その昆山の妻を殴った石刚の物語。物語の語り手は、11歳の少年。昆山は、自分の妻を石刚が殴ったと知ります。そして、面子の問題だといって、石刚を懲らしめにいきます。石刚はなかなか風呂からでてきません。少年は浴場まで様子を見に行きました。程なくして石刚が出てくると、二人の戦いが始まります。昆山は包丁、石刚は濡れたタオルを使いました。結果として石刚が去り、痛み分けに終わります。その後、少年は、二人が仲良く語り合っている場面に遭遇して、驚きます。

暴力が扱われている小説。

余華自身の記憶が題材になっているようです。
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余华《爱情故事》

《爱情故事》は余华の小説。
 
1989年3月23日。
 
ある男女の関係の物語。二人は5歳の時から知り合っていて最終的には結婚した。二人は、野原で愛し合う。そして妊娠したかどうかを確認するため病院に赴くが、少年は事態の発覚を恐れて少女を遠ざけようとする。少女が妊娠したら自殺するしかないとまで少年は言う。そして少年は少女を一人で病院に向かわせる。結果が出て少女が妊娠していたと告げると少年は絶望に襲われる。男は置いた女と向き合う。男はお互いがお互いのことをあまりにも理解してしまったのではないかという。女は「あなたは私を追い出したいのだ」と泣きながら言う。男は「とても聞いていられない」という。男は「過去の出来事をともに追憶しよう」という。女は「最後の一回?」と尋ねる。男は「1977年の秋から始めよう」という。「40里も離れたあの場所でお前がすでに妊娠しているかどうか確認しに行った。あの時僕は本当に落ち込んでいた」と。女は「落ち込んでいなかった」という。女は「これまで出会ってきた中で、今始めてあなたは落ち込んでいる」という。
 
老いた男の回想という方式で物語は語られていきます。過去と現在が交錯しながら文章が進んでいきます。特に問題にされるのは妊娠の検査に行く場面。
 
いわゆる「妊娠小説」。
 
責任を引き受けようとしない、神経質な男が、物語の主人公となっています。
 

余华《女人的胜利》

《女人的胜利》は余华の小説。

1995年9月9日。

ある夫婦の物語。林红という名前の女性は、夫・李汉林が外出している時、鍵を見つけます。そして、その鍵を手掛かりにして、李汉林が青青という女性と親密にしていることを知ります。その後、林红は親友の助言を聞いて、李汉林を無視することにします。李汉林は青青との関係をもう終わりにすると釈明しますが二人の関係は元には戻りません。毎日、林红はベッドで、李汉林はソファで寝起きします。林红が挑発しても李汉林は抵抗せず、ただ黙ります。しかし、李汉林は決して謝ろうとはしません。李汉林は離婚しようといいます。しかし、林红が離婚を聞き入れないと李汉林は喜びます。しかし、その喜びを見透かして林红は離婚を選ぼうとします。二人は離婚するために事務所に向かいます。そして、結婚を届け出た時立ち寄ったカフェに行きます。そこには青青らしき女性がいました。林红は李汉林にキスを求めます。二人は抱き合い、キスをします。林红はその過程で李汉林をコントロールします。そして、青青は立ち去り、林红は家に帰ろうといいます。

夫婦の駆け引きを描いています。

現実離れした描写や展開などはとくにありません。生活の中における微妙な駆け引きが描かれています。

夫も妻も決して別れることは望んでいないようです。しかし、先に和解に応じたら譲歩することになるので、対立を続けます。現実の世界でもよく起こりそうな事態が巧みに描かれています。

余华《西北风呼啸的中午》

《西北风呼啸的中午》は余华の短編小説。

1987年2月24日。

余華は他人から知らない人間が友人だったと言われて、その人間の葬式に無理やり出席させられます。そして、その人の母親のために終生尽くさなければならなくなります。

余華の初期の小説は、奇妙な味わいといわれますが《西北风呼啸的中午》も奇妙な小説です。

余华《十八岁出远门》

《十八岁出远门》は、余华の出世作とみなされている短編小説。1986年11月16日。

十八歳になった少年が経験する不条理な出来事を描いています。

少年は宿を目指して歩き続けています。しかし、宿が見つからないので、エンストして停車している車を発見して、運転手のためにタバコの火を点けることにより、車に同乗させてもらいます。その車は大量のリンゴを輸送している最中でした。その後、車は出発しますが、またエンストします。修理できないので運転手は車外で運動を始めます。少年は、運転手のために煙草の火を点けて車に乗ります。その後、車はまたエンストします。その時、五人の男が自転車であらわれます。そして、リンゴを強奪していきます。少年は男たちを止めようとして争いますが、殴られます。運転手はその様子を嬉しそうに眺めています。その後、さらに大量の人たちが現れてリンゴを強奪していきます。少年は運転手を憎らしく思います。最終的にトラクターがあらわれて、タイヤや板などを根こそぎ強奪していきます。さらに運転手は少年のバックまで強奪してトラクターに乗り、去っていきます。少年と車は傷だらけになり、取り残されます。少年は車の座席に横になり、父親から「18歳になったのだから、外の世界を理解しにいなければならない」と言われて紅いバックを背負って喜び勇んで家を出た時のことを想起します。

寓話的な小説。

「アスファルトの道路は曲がりくねっていて、道はまるで波に張り付けられているかのようだ」という一節から物語は始まります。細かい描写は具体性に富んでいるので、場面として想起しやすいです。映像化が極めて容易です。

また少年の紅いバックと、車の輸送している紅いリンゴなど、紅が物語全体の中で際立っています。リンゴの意味、物語全体の意味など、さまざまな解釈が可能なように思われます。その紅を、共産党の意味ととらえるならば、無邪気に共産党の理念を掲げた少年(紅衛兵?)が現実世界において大人たちから裏切りに遭い、失敗する物語とも読めます。

水が余華の作品の中では頻出しますが、水はいかなる意味を持っているのかと考えてみたいと感じました。