《夏季台风》は余華の小説。
地震にまつわる小説。さまざまな人間のストーリーが絡み合っているため把握することは容易ではありません。ただ、主要人物の一人として白樹という人物がいます。
一九七六年初夏、つまり文化大革命の頃の物語。
白樹は、地震のモニターを見ています。しかし、白樹のいうことを全く相手にしない物理の先生と、げらげらと笑う顧林たちに直面します。しかし、白樹は物理の先生に向かって何度もモニターに変化があるかどうかを報告し続けます。そして、三日前から私たちは唐山地震を観測した、ともいいます。
地震が発生するという情報が町中に流れて、人々は屋外にテントをつくって逃げます。しかし、いつになっても地震は起きません。そして、偶然、白樹は「モニターに変化がない」ということを、電話で忙しい革委会主任に報告します。その結果、「地震は起きない」という判断が、白樹の名前とともに、町中で放送されることになります。王岭は非常に喜びます。人々は屋内に戻っていきます。しかし、小さな地震が結局発生して、人々は大騒ぎします。白樹は顧林、陳剛たちに殴られることになります。そして、地震を報告することを諦めます。
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《偶然事件》は余華の小説。
非常に不思議な小説。手紙の往来にそって物語が進んでいきます。
あるバーで、ある男性が、ある男性を刺殺します。陳河と江飄はその場に偶然居合わせただけでした。しかし、警察が二人の身分証明書を取り違えて返却したため、二人はお互いの名前と住所を知ります。そして、陳河は、江飄に対して身分証明書を取り替えようと提案するため手紙を書き、文通か始まります。
陳河は妻をほかの男性に誘惑されている男性のようです。一方、江飄は数多くの女性を誘惑している男性のようです。
二人は文通の中で、事件の真相を探ろうとします。陳河は、まるで自分の境遇を反映しているかのように、殺人事件は妻を誘惑された男性が起こしたものだと断定します。一方、江飄は、その意見に対して説得力がないと最初は否定します。しかし、徐々に江飄も陳河の推理に沿ってはなしをすすめるようになり、最終的に二人は「妻を誘惑された男性が、女性を誘惑することに長けていることを自慢する男性を刺殺した事件だ」と結論付けます。
その後、陳河と江飄は実際に顔を合わせて出会います。陳河は江飄を刺殺しました。
《温暖和百感交集的旅程》収録作品の末尾に記された日付に関して
《我能否相信自己》1997/10/18
《温暖和百感交集的旅程》1999/4/30
《布尔加科夫与《大师和玛格丽特》》1996/8/20
《博尔赫斯的现实》1998/3/3
《契诃夫的等待》1998/5/10
《山鲁佐德的故事》1999/10/25
《三岛由纪夫的写作生活》1995/9/18
《内心之死》1998/8/26
《卡夫卡和K》1999/8/30
《文学和文学史》1998/9/7
《威廉・福克纳》1997/8/15
《胡安・鲁尔福》199812/6
「奢侈的厕所」
豪華なトイレに関して。トイレという蔑まれる場所が気付かない内に豪華になったことの意味。また、昔トイレに刻まれていた性的な言葉やイラストは、性に対する抑圧を物語っていた、という指摘。1995/1/2
「什么是爱情」
朱徳庸氏のマンガ《双响炮》に関して。《双响炮》は弱い男と強い女からなる中年夫婦の結婚の危機と、生活の悩みに関して。2003/1/5
「虚伪的作品」
余華の創作に対する態度に関するエッセイ。非常に意味深長。1989/6
「川端康成和卡夫卡的遗产」
余華が愛読した川端康成とカフカの小説に関して。1982年から川端康成を愛読するようになり、1986年からカフカを愛読するようになった、と余華は記しています。そして、カフカによって川端康成の呪縛からも解き放された、と指摘しています。1989/11/17
「文学中的现实」
文学のなかの現実に関して。『死者たちの七日間』を予見させるエッセイとなっています。
余華は、文学における現実を考える上でたとえば二つの事件が参考になる、と記します。トラックの衝突事故と、飛び降り自殺の事件です。その二つの事件に注目したのは、「なぜならば、二台のトラックが衝突した時、発生した巨大な物音が、公路の両脇の木の上にいた雀をばらばらと地に落として、高層ビルから飛び降りて自殺した人は激烈な衝突によって彼のジーンズが破裂させられたからだ」そうです。その点によって記憶に留められるからこそ、文学の中の現実になるというのが余華の論理です。
また、細部によって、文学の中の現実を成立させている人たちとして、ダンテ、ボルヘス、ユルスナール(尤瑟纳尔・フランスの小説家)を取り上げています。言及されているのは、ダンテのはなたれた矢の表現(的にあたり、矢が放たれた)、ボルヘスのもう一人の自分に会った際の声の表現(録音機からきこえるよう)、ユルスナールの林の切断されたが再接合する際の表現(首にまきつく奇怪な紅いマフラー)。2003/3/10