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中国文学映画関連 備忘録

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余华《没有一条道路是重复的》収録エッセイ4

《没有一条道路是重复的》は余華のエッセイ集。

「生活、阅读和写作」と名付けられた一節は、様々な話題にまつわるエッセイに関して収録。

「结束」
死に関して。ある老人が大泣きしていた記憶から。カフカの入水自殺に関する妄想、ヨーゼフ・ゲッベルスとその家族の敗戦時の自殺。詩人ハロルド・ハート・クレインの船からの身投げ自殺。自然の中に死に場所を探しながら結局単純な死を選んだ画家アーシル・ゴーキーの首つり自殺。1992/5/18

「午门广场之夜」
三大テノール(世界三大男高音)のはなし。卢恰诺·帕瓦罗蒂、普拉西多·多明戈、何塞·卡雷拉斯。2001/6/23

「关于时间的感受」
時間の不思議に関して。未来を想像した時は遥かか彼方に思えるが、過去を振り返ると昨日のことのように思える、というはなし。2000年という数字から着想を得たよう。1998/12/24

「关于回忆和回忆录」
ガルシア・マルケスの自伝に関して。研究者が事実をどれだけ整理したとしてもその時の感覚は分からない、というはなし。2001/2/10
 
「美国的时差」
アメリカ旅行に行き、アメリカの時差に驚いた、というはなし。そして、ヨーロッパ旅行では疲れないのに、アメリカ旅行では疲れ果てた、という感想など。1999/6/30
「别人的城市」
余華が北京という他人の街に住んでいることを再確認した文章。北京に関して考えるきっかけになりそうです。1995/6/21

「一年到头」
1994年の最後の月を迎えて、一年の終わりに思うことをまとめた文章。ものごとは新しくなるが、人の生活は新しくならない、という思い。1994/11/23
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余华《没有一条道路是重复的》収録エッセイ3

《没有一条道路是重复的》は余華のエッセイ集。
 
「两个童年」と名付けられた前半部分は、自分の幼年期のことと息子の幼年期のことなどが綴られています。

「医院里的童年」
少年時代を振り返るエッセイ。祖父祖母に育てられることがなかったというはなし。父母は医者だったので忙しくてほとんど構ってもらうことがなかったというはなし。父親の自転車の後ろに乗ることができて非常にうれしかったという話。兄と遊んだはなし、苛められたはなし。手術室の記録をなくしてしまった話。文革の頃、兄がふざけて火事騒ぎを起こして、父親が周囲から徹底的に責められた話。病院宿舎で育ったため、遺族の泣き声を聞いて育っという話。ある夏、太平間で寝たら涼しくて気持ち良かったという話。1998/5/26

「麦田里」
父親に怒られると、よく麦畑に逃げ込んだ、というはなし。そして、夜になると戻って心配している父からギョーザをもらったというはなし。1998/2/23

「土地」
大地は寛容であり、全てを受け入れる、という内容。子供の頃の美しい農村風景。都市の子と農村の子の対立。ほらふきの少年が父親に殴られた時壁際にいて首の血管が切れて死んだこと。その遺体が埋められた墓は時とともに消滅したこと。都市の子と農村の子の対立の際、余華は農村の子に混ざり、一目置かれたこと。その代わり、葡萄を食べることができなかったこと。農村の子に騙されて、その子の祖父の葬式に同行して遠くまで冒険したこと。その帰りに余華を送ってくれた少年がとても大人に見えたこと。『活きる』のテーマに通じるエッセイ。1992/3/12
「包子和饺子」
子供の頃、バオズとギョーザが贅沢な食べ物だったこと。父親が小麦粉を買ってくると、バオズとギョーザどちらをつくるのかやきもきしたこと。父親の故郷・山東で塩辛いギョーザを食べたこと。「軍事訓練」として遠足に行く時、母からお小遣いをもらってお弁当としてギョーザを買ったこと。その際、兄からベルトを借りるためギョーザを一つあげたこと。天津に行った時、お腹が破れそうなほど狗不理バオズを食べて「百感交感」という言葉を思い浮かべたこと。1999/7

「国庆节忆旧」
国慶節にまつわる記憶に関して。パレードの準備のため、夜間長安街が通行不可になったこと。子供の頃、南方で育ったが天安門に憧れて、地元の写真館で天安門の写真をバックにして写真を撮ったこと。ドキュメンタリーの中で最初は毛沢東や壮大な花火に惹かれたが、のちには亡命してきた異国の国王の美しい妻に目を奪われたこと。剥き出しの瓦を隠すため父親が天井に古新聞を貼ったため、国慶節のたびに新聞に登場する毛沢東のうつりかわりを感じたこと、など。1999/9/19

「最初的岁月」
自伝的エッセイ。杭州で生まれて、五歳の時海塩に移り住み、病院の宿舎で生活、文革の壁新聞に衝撃を受けて、図書館ができると本をむさぼり読み、その後一年間医学の勉強を受けたが苦痛だったのでそれから逃れるため創作を始めた、というはなしなど。子供の頃、垣間見た農民の姿がとても印象に残っている、と記されていますが、その時持ったイメージが『活きる』に通じているのかも知れません。1994/4/5

余华《没有一条道路是重复的》収録エッセイ2

《没有一条道路是重复的》は余華のエッセイ集。
「两个童年」と名付けられた前半部分は、自分の幼年期のことと息子の幼年期のことなどが綴られています。

「儿子的影子」
息子の変幻自在に代わる影に関して。それに対する感動。1998/2/23

「消费的儿子」
消費時代に生まれた息子に対する不安に関して。バスではなく、タクシーにしようという息子の言葉からそれを感じ取ります。1996/8/11

「儿子的出生」
余華の子どもが産まれた時のはなし。息子が生まれることへの喜び。妻が妊娠が突然だったこと。余華は娘を望み、妻は息子を望んだこと。浙江省にある実家への帰郷。医者である父母のもとでの出産。命名したのは妻だったこと、など。1994/2

「父子之战」
父と子の戦いに関して。余華の息子に対する折檻のエスカレート。そして、余華自身の子ども時代の仮病による反抗。仮病だったはずが本当に発病したと思われて父に手術されたこと。1999/1/31

余华《没有一条道路是重复的》収録エッセイ1

《没有一条道路是重复的》は余華のエッセイ集。

「两个童年」と名付けられた前半部分は、自分の幼年期のことと息子の幼年期のことなどが綴られています。

「流行音乐」
余華は、赤子の息子にクラシック音楽を聞かせて育てようとします。しかし、童謡の「小燕子」を聞かせた途端、息子は「小燕子」を口ずさむようになり、クラシック音楽を拒否します。1996/5/9

「可乐和酒」
余華は、幼い息子が「酒を飲みたい」というので、コーラをあげました。息子は、コーラを酒だと思っていました。しかし、ある時、甥の子がいたずらして、息子に白酒を飲ませたため息子は目を白黒させます。その後、余華が息子にコーラをあげると、息子はコーラがコーラだということを知ります。1996/5/14
「恐惧与成长」
息子が恐怖を感じる対象の移り変わりに関して。最初はうんちに対して恐怖を感じました。以後、上海から北京に行くため飛行機を使った時、乗りこむまで息子は、飛行機に乗りたいと叫んでいたのに、飛行機が離陸すると怖がって飛行機から降りたいと叫びます。そして、おしっこを洩らして、ズボンを変えて欲しい、とも要求します。1996/5/14

余华《古典爱情》

《古典爱情》は余華の中編小説。

伝奇小説を思わせる幻想的な作品。

もともと貧しい家庭に生まれた柳生は、世の中が豊かな時、上京して科挙を受けます。その途中で巨大な邸宅の閣楼に入り込み、惠という女性と出会います。雨宿りのため一時的に留まり、惠と惹かれあいます。そして、「科挙に受かろうと受かるまいと早く戻ってきて欲しい」と言われます。科挙に落ちたため、失望によって柳生は惠に合わせる顔がないと思います。柳生が帰る時その邸宅を通ると、もともとあった閣楼はすでになく、絶えた井戸と壊れた垣が残っているだけでした。そして、惠の姿はどこにもありませんでした。

三年後、柳生は再び上京して科挙を受けますが、周囲には荒野、枯れた河,人が草を食む光景が広がっていました。そして、惠がかつて住んでいた街に行くと、柳生は、父親によって娘が食肉として売られている光景に直面します。その後、柳生は、食肉として扱われて足を切られた惠と退会します。その時にはすでに遅く、柳生は三年にわたって積もった思いを込めて惠の胸を突き、惠の苦しみを解き、彼女を埋めます。数年後、再び世界が豊かになりますが、柳生は一切の功名を捨てて惠の墓の傍に住みます。ある日惠と再開して、惠の復活を予感します。そして、思わず墓を掘り返します。その後、惠があらわれて、「私はもともと生き返ることができたのに、あなたに発見されたためにできなくなった」といってて立ち去ります。

きわめて寓話的。

文語的表現などが多く、文体は他の余華作品と比べて壮麗です。

成就しない恋愛を描いています。プロット自体は、伝奇小説から借りてきたもののようですが、余華らしくない印象を受けます。

「食人」というテーマは魯迅を思わせます。世相が悪化すると、女性など社会的弱者がまず虐げられる事実を描き出している、とも読めます。

生々しい血、身体の切断の描写などが印象に残ります。

水の描写も非常に印象的です。《世事如烟》では水が死後の世界や死を暗示しているようでしたが、この作品でも、水と死が関連し合う場面があります。ただ、この作品では、死後の肉体を清めるものとして水が登場します。たしか『死者たちの七日間』にも、水で体を清める場面がありました。

余華の小説の中に登場する水の描写を分析したら面白そうです。