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中国文学映画関連 備忘録

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史铁生《我与地坛》

史铁生《我与地坛》は、車椅子作家・史鉄生がみずからの思い出をつづった散文。

母親への思い、地壇にあらわれた人たちの思い出などを綴っている。最終的には、哲学的な話題にも踏み込んでいき、なぜ生きるのか、なぜ書くのかといった問いに自分なりの答えを出す。

史鉄生はかつて、毎日のように地壇に行き、一人で過ごしていたという。その際自分の不幸のことばかり考えていた。一方、母親は何も言わず、送り出した。しかし、今思えば、母親こそがより苦しんでいたのではないかと史鉄生は推測する。

その上、史鉄生がデビューする二年前に母親は亡くなり、自らの成功を母親に見せることもできなかった。

知的障害のある少女の思い出を綴った部分で触れられる、苦難があるからこそ幸福が意味を持ち、醜さがあるからこそ美しさが意味を持つといった考え方は印象的。




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三毛《不死鸟》,王小波《一只特立独行的猪》

三毛《不死鸟》
三毛は自分が死ねば夫と父母が悲しむので、家族のために暫時の不死鳥になる、と記す。

王小波《一只特立独行的猪》
文革時期、農村で労働に従事した時、出会った一匹の独立不羈な豚の物語。その豚は、人に管理される他の豚とは異なり、自由に振る舞う。王小波は豚を兄と慕う。豚が時間を知らせる汽笛の音を覚えて煩わしいため、人々は豚を殺そうとするが、豚は脱出する。

ブラックユーモアにあふれた作品。

河村昌子『巴金 その文学を貫くもの』

河村昌子『巴金 その文学を貫くもの』は巴金の文学に対する研究。

新聞掲載されていた当時の誌面と対応させながら『激流』を読んでいくという方法はとても参考になりました。

《目次》
はじめに
序章 作家になるまで
第一章 新聞連載小説『激流』
第二章 著作と実践活動のはざまで
第三章 編集者として、作家として
第四章 戦時下で書くこと
第五章 『寒夜』――「小人小事」の物語
第六章 『随想録』――妻を悼む
おわりに
初出一覧/あとがき/索引


川端康成「葬式の名人」「孤児の感情」「伊豆の踊子」

川端康成の短編集を借りました。

「葬式の名人」
身近な人が続々と亡くなり、そのたびに葬式に出る、というはなし。とくに思い出されるのは姉と祖父の死。

「孤児の感情」
早くに父母を失ったので、それを思い出すことができない、というはなし。妹が結婚に備えて、東京に来る。妹に対して、恋のような感情を抱く。

「伊豆の踊子」
言わずと知れた川端康成の代表作。踊り子に対して淡い恋心を抱く、という物語。

『歴史の周縁から 先鋒派作家格非・蘇童・余華の小説論』

『歴史の周縁から 先鋒派作家格非・蘇童・余華の小説論』は森岡優紀による先鋒文学作家に対する研究をまとめたもの。

格非・蘇童・余華を先鋒文学作家としてまとめて、その特徴を分析していく構成となっています。基本的には、蘇童に対する分析が一番多い印象を受けました。キーワードは「周縁」。60年代生まれは、上の世代とは異なり、周縁から中国の歴史と向き合ってきた、といういうような分析となっています。

作風は三者三様なので、面白いと感じました。



以下は目次。

はじめに
第一部 先鋒派のはじまり
第一章  蘇州の少年時代〈蘇童〉
第二章  大人の世界への旅立ち〈余華〉
第三章  「意味」を探し求めて〈格非〉
第二部 先鋒派の文学形式
第四章  虚構のちから〈蘇童〉
第五章  深層の記憶〈格非〉
第六章  文化大革命と六〇年代生世代〈蘇童〉
第三部 先鋒派の周縁
第七章  歴史の周縁から〈格非〉
第八章  新しい「現実」の構築へ向けて〈余華〉
おわりに
付録 「先鋒派」作家インタビュー 
 蘇童訪問録(一九九九年夏)
 格非訪問録(二〇〇五年八月)
余華訪問録(二〇〇五年春)