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中国文学映画関連 備忘録

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林华瑜《暗夜里的蹈冰者──余华小说的女性形象解读》

《暗夜里的蹈冰者──余华小说的女性形象解读》は林華瑜による余華の女性観に関する評論。

もともと《中国文学研究》2001年第4期に収録。

余華の小説の中に登場する女性のイメージを分析するものになっています。

・余華は、作品の中で女性が虐げられる様子を克明に描き出している。
⇒《古典爱情》では母娘が食べられる様子を描いている。魯迅の《狂人日記》の「妹を食べる」というモチーフと共通する。
⇒《世事如烟》では六人の女の子が売られていく様子が描き出されている。
⇒《一九八六年》では、文革によって狂った中国教師が古代の刑罰を用いて自殺する様子が描かれているが、残される妻と子どもも悲惨である。

・ヨハン・ガルトゥングの分類によれば、直接暴力、構造的暴力、文化的暴力がある。余華はそういった暴力のもとにある女性を描いているが、とくに注目するべきは文化の側面である。

・余華の描く女性のイメージは二種類ある。
⇒苦難の淵で叫び泣く善良な女性。たとえば《活着》の家珍、凤霞、《河边的错误》の么四
  (沈従文《辺城》と比較)
⇒「悪の花」、つまり暴力の構造を助長する女性。たとえば《现实一种》の妻たち。

・なぜ、さまざまな種類の女性が登場するのか
⇒女性自体の持っている多重的な特徴のためか(女性は大地というたとえなど)
⇒先鋒作家の文化心情のためか

・ただ、余華の作品の中に登場する女性は、脇役であることが多く、正面から描かれていることはほぼない。女性に対するさらなる描写があれば、本当の全面的な「人的文学」になるだろう。


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昌切,叶李《苦难与救赎 余华90年代小说两大主题话语》

《苦难与救赎 余华90年代小说两大主题话语》は、昌切,葉李による余華に対する評論。

もともと《华中科技大学学报:社会科学版》2001年第2期に掲載。

オーソドックスな余華といえそうです。

・苦難と贖いが余華文学の特徴。

・苦難と贖いがともに示すのは人性と生存の問題。

・哲学的な問いを含んでいる。存在への回答と、深刻な悲劇精神

・悲劇とは抗うからこそ、悲劇になる。《活着》《许三观卖血记》に到達して初めて悲劇となる。

谢有顺《余华的生存哲学及其待解的问题》

《余华的生存哲学及其待解的问题》は、中山大学などで教鞭をとっている学者・謝有顺による、余華に対する評論。

《余華研究資料》収録。もともと《钟山》2002年第3期に掲載。

余華作品は、作者自身は人に対する体験や理解に従って変化しているという前提に立ち、時系列に沿って、作品を読解していくスタイル。キーワードは、生存。日本語だと「実存」に近いのかな。

●主な論点
・初期の作品は、暴力と権力に対する考察がもとになっており、その暗黒を描いている。
⇒著者は初期の作品を高く評価する

・作風が変化した後の作品は、「苦難とどう対峙するか」がテーマになっている。

・そして、作風に温かみが生まれて、苦難を解消する方法が用意されている。
⇒《在细雨中呼喊》の場合は、追憶
⇒《活着》の場合は、忍耐
⇒《许三观卖血记》の場合はユーモア(喜劇化)

・しかし、余華の作品が「遭遇」を描いていることは問題だ。《活着》《许三观卖血记》の登場人物たちは、ただ受け身で苦難に出会うだけ。最終的には、「私は誰か」「人とは」といった問いを放棄。人間の「世界」から退場して、動物と同化している。

・《许三观卖血记》の追及する平等も、単に人と同じであれば良い、という意味での平等。問題がある。

・受難と、苦難の解消は根本的に異なる。
⇒受難とは、すすんで苦難を引き受けて、その果てに出口を見つけ出すこと。
⇒苦難の解消とは、一時的に気を紛らわせているだけ

・西洋は「罪感文化」、中国は「楽感文化」であり、その影響が余華にも及んでいる。

・苦難の解消と忘却には、賛成できない。単なる解消の果てには、幸福も尊厳もなく、存在の忘却があるだけだ。苦難を引き受けることが大切。(カフカ、聖書に言及)

・事実と価値のレベルがあり、両者を統合してこそすぐれた作品。余華の作品は価値のレベルが欠けている。その点に関して、余華の考えは甘い。

・「見方」は、「事実」より重要な場合もある。


姚岚 《余华对外国文学的创造性吸收》

《余华对外国文学的创造性吸收》は、姚嵐が、余華と外国文学との関わりを分析した評論。

《余華研究資料》収録。もともと 《中国比较文学》2002年 第3期に掲載。
 
論理の展開などが難しい点はありますが、余華と外国文学との関わりをまとめており、構造自体はきわめて明快です。

言及されている作家はアラン・ロブ=グリエ、川端康成、カフカなど。共通性と相違性が確認されています。また王安憶による評価なども記載。そして、ハイデガーの哲学と、余華の作品は通呈する部分があると著者は指摘します。

カメラでうつしていくかのような描写 ロブ=グリエ
細やかな描写 川端康成
アレゴリー、刑具 カフカ
死に直面した時初めて生きることを知る ハイデガー

张清华《文学的减法-论余华》

《文学的减法-论余华》は、北京師範大学の教授・张清華による余華に関する評論です。

 《余華研究資料》収録。《南方文坛》2002年第4期に掲載。

「余華は「减法」「簡便」の達人だ」「余華の核心は、歴史であり、哲学ではない」「虚偽でありながらそれは誠実さのあらわれだ」という指摘など。また、その性質は魯迅とも共通しているという指摘もあります。


●主な論点とそれに対する著者の解答
・余華が世界的影響を持つようになった理由
⇒ 余華作品の「人類性」が豊富だから
(莫言は「民族性」、余華は「人類性」が豊富。)

・余華の作品の「簡便」さとは何か
⇒ 純詩・神話の原理と相似、具体性の消失が内涵(内在要素?)の拡大と純化に結びついた
⇒ 極端な単純化は意味を超越した位置に達した、それはほぼ無意味に近い位置(禅問答的)

・余華の作風は変化したとされるがそうなのか
⇒ 実は一貫してアレゴリー。重点が変わっただけ。「形式の簡単さ」から「叙事の簡単さ」へ。前者は哲学、後者は歴史と生存を重視。変化後の作品もまた現実主義の小説ではない

・余華と魯迅は共通した要素を持つとはどの点においてか
⇒ 両者とも「减法」をよく理解していた。

・どうして「簡便」に目を奪われるのか
⇒ 前期作品の複雑さが影響。テキストの背後にいる作者を意識しているがゆえに余計複雑さに目を奪われる。余華の聡明さをあらわす。


●作品評価
・《活着》は最も古くて素朴な経験の原型。生きている者のアレゴリー。

・《许三观卖血记》は、その叙述の物語的寓意、構造タイプにおいて、人生という芝居に対する喜劇的模倣を実現した。とくに評価するべきは、言葉で料理を再現する場面。

・《鲜血梅花》などは高度な形式化。「内容の形式化」「形式の表面化」という特徴が出現。

・《虚伪的作品》は虚偽と真実の余華的弁証法


下記が概要。

摘要: 文学历史的存在是按照"加法"的规则来运行的,而文学史的构成--即文学的选择则是按照"减 法"的规则来实现的.从这个角度看,历史上的作家便分成了两类:一类只代表着他们自己,他们慢慢地被历史忽略和遗忘了;而另一类则"代表"了全部文学的成 就,他们被文学史记忆下来,并解释着关于什么是文学的一般规律的问题.