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中国文学映画関連 備忘録

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レイ・ブラッドベリ『ウは宇宙船のウ』収録作品

レイ・ブラッドベリ(1920~2012)はアメリカ合衆国のSF作家。

『ウは宇宙船のウ』はレイ・ブラッドベリの短編集。大西尹明による翻訳。

「「ウ」は宇宙船の略号さ」
宇宙船にあこがれて、そのロケットの発進を見に出かける少年の物語。最終的に、宇宙飛行士の候補に選ばれて、家を去ります。

「初期の終わり」
息子ののるロケットの発進によって新しい時代の幕開けを予感する物語

「霧笛」
灯台から発せられる霧笛の音に吸い寄せられて、灯台に訪れた孤独な太古の怪物の物語。非常に印象深かったです。

百万年の孤独という部分が胸を打ちます。

「宇宙船」
スクラップ工場で働く貧しい男が、子供たちのために宇宙旅行気分を味わえる架空の宇宙船をつくって、七日間の幻の旅行を楽しませる物語。

「宇宙船乗組員」
父親が宇宙飛行に出掛けてしばしば家を空ける一家の物語。母親は父親が宇宙に行かないことを望み、息子は父親に憧れて、父親は地球にいるときは宇宙に行きたいと思い、宇宙にいるときは地球に戻りたいという葛藤を抱えています。

メキシコに行ったときの思い出として、息子が語る「何百匹という蝶が車のラジエーターに吸い込まれ、そこでその青と紅の羽をばたつかせながら、美しくもまた悲しげにその身を引きつらせて死ぬのを見た」という光景が印象的。

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『温暖和百感交集的旅程』収録エッセイ

『温暖和百感交集的旅程』は、余華のエッセイ集。《读书》という雑誌の連載をまとめたものだそうです。

 我能否相信自己
見方は常に古臭くて時代遅れだが事実は永遠に古臭くない、というシンガーが兄から聞いた言葉などを引用しながら、見方と事実に関して余華が自分の考えを綴っていきます。言及される小説家は、アイザック・バシェヴィス・シンガー、ミラン・クンデラ、ボルヘスなど。

温暖和百感交集的旅程
余華が自分に影響を与えた小説家に関してまとめた文章。まず言及されるのは、川端康成の『伊豆の踊子』、カフカ『流刑地にて』。その他、ガルシア=マルケス「火曜日の昼寝」、ブルーノ・シュルツ『鳥』、ジョアン・ギマランエス・ローザ「河の第三番目の岸」?、シンガー「馬鹿のギンペル」、魯迅「孔乙己」、ボルヘス「南方」、ハルドル・ハクスネス「青魚」?、スティーブン・クレイン『オープン・ボート』?など。

ガルシア=マルケス『族長の秋』

ガルシア=マルケス(1928年~2014年)はコロンビアの小説家。『族長の秋』は、ガルシア=マルケスが『百年の孤独』発表のあとで執筆した小説。

『ガルシア=マルケス作品集』収録。鼓直翻訳。

幾度も大統領の死後の場面に舞い戻りながら、その度に過去に遡行して、大統領の様々な側面を描き出していく、という展開になっています。人称がよく変化します。日本語に翻訳する上では様々な困難があっただろうと思いました。

『族長の秋』は、大統領がハゲタカに食い荒らされたらしい、と判明する場面から始まります。その後、百年にもわたって国を支配してきた大統領のことが描かれていきます。たとえば、大統領の母親パトリシオ・アラゴネスに対する愛、大統領の愛なき愛、マヌエラ・サンチェスへの唯一ともいうべき愛、アメリカをはじめとした各国によって海を含む全てを奪われる国家の様相、最も信頼する側近アギラル将軍との信頼関係と最終的な確執、度重なる内部の権力闘争、民衆に対する虐殺など。

とくに浮かび上がるのは大統領の孤独です。

谢有顺《余华的生存哲学及其待解的问题》

《余华的生存哲学及其待解的问题》は、中山大学などで教鞭をとっている学者・謝有顺による、余華に対する評論。

《余華研究資料》収録。もともと《钟山》2002年第3期に掲載。

余華作品は、作者自身は人に対する体験や理解に従って変化しているという前提に立ち、時系列に沿って、作品を読解していくスタイル。キーワードは、生存。日本語だと「実存」に近いのかな。

●主な論点
・初期の作品は、暴力と権力に対する考察がもとになっており、その暗黒を描いている。
⇒著者は初期の作品を高く評価する

・作風が変化した後の作品は、「苦難とどう対峙するか」がテーマになっている。

・そして、作風に温かみが生まれて、苦難を解消する方法が用意されている。
⇒《在细雨中呼喊》の場合は、追憶
⇒《活着》の場合は、忍耐
⇒《许三观卖血记》の場合はユーモア(喜劇化)

・しかし、余華の作品が「遭遇」を描いていることは問題だ。《活着》《许三观卖血记》の登場人物たちは、ただ受け身で苦難に出会うだけ。最終的には、「私は誰か」「人とは」といった問いを放棄。人間の「世界」から退場して、動物と同化している。

・《许三观卖血记》の追及する平等も、単に人と同じであれば良い、という意味での平等。問題がある。

・受難と、苦難の解消は根本的に異なる。
⇒受難とは、すすんで苦難を引き受けて、その果てに出口を見つけ出すこと。
⇒苦難の解消とは、一時的に気を紛らわせているだけ

・西洋は「罪感文化」、中国は「楽感文化」であり、その影響が余華にも及んでいる。

・苦難の解消と忘却には、賛成できない。単なる解消の果てには、幸福も尊厳もなく、存在の忘却があるだけだ。苦難を引き受けることが大切。(カフカ、聖書に言及)

・事実と価値のレベルがあり、両者を統合してこそすぐれた作品。余華の作品は価値のレベルが欠けている。その点に関して、余華の考えは甘い。

・「見方」は、「事実」より重要な場合もある。


姚岚 《余华对外国文学的创造性吸收》

《余华对外国文学的创造性吸收》は、姚嵐が、余華と外国文学との関わりを分析した評論。

《余華研究資料》収録。もともと 《中国比较文学》2002年 第3期に掲載。
 
論理の展開などが難しい点はありますが、余華と外国文学との関わりをまとめており、構造自体はきわめて明快です。

言及されている作家はアラン・ロブ=グリエ、川端康成、カフカなど。共通性と相違性が確認されています。また王安憶による評価なども記載。そして、ハイデガーの哲学と、余華の作品は通呈する部分があると著者は指摘します。

カメラでうつしていくかのような描写 ロブ=グリエ
細やかな描写 川端康成
アレゴリー、刑具 カフカ
死に直面した時初めて生きることを知る ハイデガー