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「「ウ」は宇宙船の略号さ」
宇宙船にあこがれて、そのロケットの発進を見に出かける少年の物語。最終的に、宇宙飛行士の候補に選ばれて、家を去ります。
「初期の終わり」
息子ののるロケットの発進によって新しい時代の幕開けを予感する物語
「霧笛」
灯台から発せられる霧笛の音に吸い寄せられて、灯台に訪れた孤独な太古の怪物の物語。非常に印象深かったです。
百万年の孤独という部分が胸を打ちます。
「宇宙船」
スクラップ工場で働く貧しい男が、子供たちのために宇宙旅行気分を味わえる架空の宇宙船をつくって、七日間の幻の旅行を楽しませる物語。
「宇宙船乗組員」
父親が宇宙飛行に出掛けてしばしば家を空ける一家の物語。母親は父親が宇宙に行かないことを望み、息子は父親に憧れて、父親は地球にいるときは宇宙に行きたいと思い、宇宙にいるときは地球に戻りたいという葛藤を抱えています。
メキシコに行ったときの思い出として、息子が語る「何百匹という蝶が車のラジエーターに吸い込まれ、そこでその青と紅の羽をばたつかせながら、美しくもまた悲しげにその身を引きつらせて死ぬのを見た」という光景が印象的。
《余华的生存哲学及其待解的问题》は、中山大学などで教鞭をとっている学者・謝有顺による、余華に対する評論。
《余華研究資料》収録。もともと《钟山》2002年第3期に掲載。
余華作品は、作者自身は人に対する体験や理解に従って変化しているという前提に立ち、時系列に沿って、作品を読解していくスタイル。キーワードは、生存。日本語だと「実存」に近いのかな。
●主な論点
・初期の作品は、暴力と権力に対する考察がもとになっており、その暗黒を描いている。
⇒著者は初期の作品を高く評価する
・作風が変化した後の作品は、「苦難とどう対峙するか」がテーマになっている。
・そして、作風に温かみが生まれて、苦難を解消する方法が用意されている。
⇒《在细雨中呼喊》の場合は、追憶
⇒《活着》の場合は、忍耐
⇒《许三观卖血记》の場合はユーモア(喜劇化)
・しかし、余華の作品が「遭遇」を描いていることは問題だ。《活着》《许三观卖血记》の登場人物たちは、ただ受け身で苦難に出会うだけ。最終的には、「私は誰か」「人とは」といった問いを放棄。人間の「世界」から退場して、動物と同化している。
・《许三观卖血记》の追及する平等も、単に人と同じであれば良い、という意味での平等。問題がある。
・受難と、苦難の解消は根本的に異なる。
⇒受難とは、すすんで苦難を引き受けて、その果てに出口を見つけ出すこと。
⇒苦難の解消とは、一時的に気を紛らわせているだけ
・西洋は「罪感文化」、中国は「楽感文化」であり、その影響が余華にも及んでいる。
・苦難の解消と忘却には、賛成できない。単なる解消の果てには、幸福も尊厳もなく、存在の忘却があるだけだ。苦難を引き受けることが大切。(カフカ、聖書に言及)
・事実と価値のレベルがあり、両者を統合してこそすぐれた作品。余華の作品は価値のレベルが欠けている。その点に関して、余華の考えは甘い。
・「見方」は、「事実」より重要な場合もある。