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中国文学映画関連 備忘録

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张清华《文学的减法-论余华》

《文学的减法-论余华》は、北京師範大学の教授・张清華による余華に関する評論です。

 《余華研究資料》収録。《南方文坛》2002年第4期に掲載。

「余華は「减法」「簡便」の達人だ」「余華の核心は、歴史であり、哲学ではない」「虚偽でありながらそれは誠実さのあらわれだ」という指摘など。また、その性質は魯迅とも共通しているという指摘もあります。


●主な論点とそれに対する著者の解答
・余華が世界的影響を持つようになった理由
⇒ 余華作品の「人類性」が豊富だから
(莫言は「民族性」、余華は「人類性」が豊富。)

・余華の作品の「簡便」さとは何か
⇒ 純詩・神話の原理と相似、具体性の消失が内涵(内在要素?)の拡大と純化に結びついた
⇒ 極端な単純化は意味を超越した位置に達した、それはほぼ無意味に近い位置(禅問答的)

・余華の作風は変化したとされるがそうなのか
⇒ 実は一貫してアレゴリー。重点が変わっただけ。「形式の簡単さ」から「叙事の簡単さ」へ。前者は哲学、後者は歴史と生存を重視。変化後の作品もまた現実主義の小説ではない

・余華と魯迅は共通した要素を持つとはどの点においてか
⇒ 両者とも「减法」をよく理解していた。

・どうして「簡便」に目を奪われるのか
⇒ 前期作品の複雑さが影響。テキストの背後にいる作者を意識しているがゆえに余計複雑さに目を奪われる。余華の聡明さをあらわす。


●作品評価
・《活着》は最も古くて素朴な経験の原型。生きている者のアレゴリー。

・《许三观卖血记》は、その叙述の物語的寓意、構造タイプにおいて、人生という芝居に対する喜劇的模倣を実現した。とくに評価するべきは、言葉で料理を再現する場面。

・《鲜血梅花》などは高度な形式化。「内容の形式化」「形式の表面化」という特徴が出現。

・《虚伪的作品》は虚偽と真実の余華的弁証法


下記が概要。

摘要: 文学历史的存在是按照"加法"的规则来运行的,而文学史的构成--即文学的选择则是按照"减 法"的规则来实现的.从这个角度看,历史上的作家便分成了两类:一类只代表着他们自己,他们慢慢地被历史忽略和遗忘了;而另一类则"代表"了全部文学的成 就,他们被文学史记忆下来,并解释着关于什么是文学的一般规律的问题.
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叶立文《颠覆历史理性‐余华小说的启蒙叙事》

《颠覆历史理性‐余华小说的启蒙叙事》は、武漢大学教授・葉立文による、余華の初期の小説に対する評論です。

《余華研究資料》収録。もともと《小说评论》2002年第4期に掲載。

文体が練られており、難解。
 
著者は、余華をはじめとする先鋒文学作家は五四以降の文学の持つ啓蒙主義を受け継いでおり、それを補完している、と評価します。さらに、余華が小説の中で、歴史理性を顛覆しようとしている、とみなします。歴史理性とは「人民」などの大義の名のもとに個人の生命感覚を殺すものです。

また、著者は、余華と魯迅を並べて論じて、余華が、「国民性批判」を継承しているとみまします。余華という作家が、余華を評価する中国の文壇の人から、どのようにみられているかということをよく示す論文のように思われました。

・内容のまとめ
初期の小説《一九八六年》は、文革という悲劇を自傷行為によって反復する教師の物語です。物語ではリニアルな歴史が消え去り、歴史が人格の肉体の形式でもって出現します。そして、その自傷行為によって、歴史理性が傷付けられます。また、教師と教師を見る群衆の関係も問題です。啓蒙者と愚昧な人々の関係になっているのです。教師の振る舞いは一見すると狂人のようです。しかし、個人の生命体験をあらわした自由倫理の個人的叙事であり、それは合法性を持ちます。逆に、その意味を理解しない群衆こそが不正常だということになります。価値が反転するのです。

また、《四月三日》という物語の中では、少年は外界の人たちに対して敵意を抱いています。物語はパラドックスをはらんでおり、細部は真実でありながら全体としては虚構となっています。少年は一見すると被害妄想のようだが、少年の視点からみたら、外界が敵意に満ちているということは事実です。真実が真実ではなくなり、真実ではないものが真実になるのです。余華は、「生活真実」を描き、個人の視点を大切にします。そして、個人の視点によって、歴史理性を顛覆していきます。それは啓蒙主義の自己反省であり、それは啓蒙主義の成熟といえます。

ハ・ジン『すばらしい墜落』

ハ・ジンは1956年生まれの中国系アメリカ人。中国で生まれ育ちました。文化大革命の強烈な影響を受けた世代です。天安門事件が起こった時にはアメリカに留学しており、事件をきっかけにして移住しました。その後、英語で創作を続けており、多くの小説を発表しているそうです。

『すばらしい墜落』はハ・ジンの執筆した短編小説集。立石光子による翻訳。

主に、フラッシングで暮らす在米中国人の人たちの生活が描かれています。どの短編も非常に心を動かされる内容です。

個人的に興味深いと感じたのは、「英文科教授」。アメリカの大学で働くため、研究業績、学生指導、教務に関する資料などを提出した助教の物語。しかし、提出書類のなかのある英単語を間違えていたことに気付いてしまい、長期にわたって苦悩することになります。

「すばらしい墜落」も印象に残りました。アメリカの寺で不当な扱いを受けて自殺しようとした僧侶の物語。しかし、自殺が大々的に報道されたことによって、注目されて、救われることになります。

物語に登場する人たちの状況自体は決して楽観視できるものではありません。中国からアメリカに移住した老夫婦が孫たちに蔑まれる物語や、逆に中国からアメリカに半年間訪れた母親によって家庭が崩壊寸前になる男性の物語など、状況は深刻です。ただ、希望がないわけではありません。辛い立場にある人に対する著者の温かい視点などが特徴的です。

中国で生まれ育ち、中国語を母語としながら英語で小説を執筆している、という点は本当に驚異的です。ハ・ジンの作品をさらに読んでみたい、と思いました。今後、できたら英語の原文にも触れてみたいです。


ジークフリート・レンツ『黙祷の時間』

ジークフリート・レンツは、ドイツの小説家。1926年に生まれて2014年に亡くなりました。代表作は、『国語の時間』(1968)など。

『黙祷の時間』は、レンツが2008年に発表した小説。松永美穂による翻訳。中国語でいえば「师生恋」(教師と生徒の恋愛)を扱っています。

物語は、英語教師シュテラ・ペーターゼンの追悼式の場面から始まります。父親の防波堤作りをよく手伝い、学級委員長もしている男子学生クリスティアンは、追悼式の中で、恋心を抱いていた年上のシュテラに対する思いを再確認していきます。二人は互いに好感を持っていました。しかし、二人の関係は最後まで曖昧でした。クリスティアンはともに暮らすことを望んで大人になろうとしますが、シュテラは教師として振る舞い続けました。最終的にシュテラは海の事故で重傷を負い、入院後亡くなりました。しかし、クリスティアンは思いが強いため、追悼式で表立って発言することは結局できず、沈黙を貫きます。

海に関する風景の描写が細密なので、非常に印象に残りました。「ぼくたちは岩礁に沿って進んだ。砂州が見えてくると、海鳥、特にカモメたちが雲のように一斉に舞い上がり、白い吹雪のような風景を演出した」(p.45)など。もっと他に良い表現があったように思います。

また、女性教師が最近愛読している作家としてフォークナーをあげる点、愛煙家の点なども印象的でした。

余華がエッセイで『国語の時間』に関する思い出を綴っていたので、レンツの作品を改めて手に取りました。『国語の時間』も読まなければ、と思います。以前、『遺失物管理所』を読みましたが今は完全に忘れてしまったので再読したいです。

『我们生活在巨大的差距里』収録エッセイ5

附录一《兄弟》创作日记
《兄弟》を執筆・発表した当時のさまざまな考えに関して。「文学の言葉は人によって鑑賞される美しい瞳ではなく、何かを見抜くための眼光そのものであるべき」という考えなどが記されています。「看见」という言葉をキーワードとして使っていて興味深いです。

その他、「角度小説」「正面小説」という考え方と《兄弟》は「正面小説」だという見方、下巻がより開放的な理由、上下巻の叙述の差異は内容に左右されているという主張、過去に関しては共通認識が成り立つが現代に対しては立場によって見方が様々だという認識、他者を理解しようとするべきという主張、人称の問題、パンドラの箱が開けられてしまった時代の一員としての責任などが綴られています。

附录二《第七天》之后
《第七天》に対する解説。フォークナーなどに言及。