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中国文学映画関連 備忘録

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余华《没有一条道路是重复的》収録エッセイ5

「十九年前的一次高考」
19年前に受けた高考に関して。余華が1977年高校を卒業した年から下放が終わり、高考が再開されました。しかし、農村で苦しい生活を経験した既卒者と比べて、その年の卒業生は切実な思いを待たず、真剣ではなかったため、受験に受かることはなかったそうです。下放を経験した世代と、その後の世代の格差など、考えてみると興味深いです。1996/4/8

「我的第一份工作」
初めての仕事・歯科医としての生活を振り返ったエッセイ。余華は一年間医学の勉強を受けた後、歯科医として働き始めました。ただ、医学の一端に携わるというイメージではなく、街中のお店のようなイメージだったそうです。当時のことが克明に描かれています。とくに力を込めて描かれているのは、余華の師匠だった沈先生とのエピソード。沈先生に頼まれた二つのことができなかったこと。写真の印刷と、家の窓の柵。2001/4/12

「回忆十七年前」
デビュー当時のことを振り返ったエッセイ。余華は、23歳の時《北京文学》に送った三つの小説が採用されて小説家としてデビューすることになりました。創作に駆り立てたのは、歯科医を辞めて文化館で働きたい、という思いだった、と記しています。その他、《北京文学》の編集である周雁如との様々な思い出。余華を見出した王潔という人とのかかわり、など。

「谈谈我的阅读」
読書経験に関して。文革時期、本のない時代、余華は必死に結末の欠けた本を読みました。あとになって、その本が、モーパッサンの『一生』だったと知り、結末を知ります。その後、改革開放の時代になると本が山のように出版されます。余華はジャック・ロンドンの言葉にしたがって、雑誌ではなく、古典を読みました。それが余華にとって大きな財産になった、というはなし。1999/11/4

「应该阅读经典作品」
古典を読むべきだと主張するエッセイ。2001/1/28

「写作的乐趣」
創作は楽しみだと記したエッセイ。創作とはなんであるか、ということを説明した内容。当初は良いフレーズを編み出した時喜んだこと。とくに長編小説は一生を経験するのと同じだということ。作者は同時に読者だという視点も重要だということ。1999/11/12
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汪跃华《记忆中的“历史”就是此时此刻──对余华九十年代小说创作的一次观察》

《记忆中的“历史”就是此时此刻──对余华九十年代小说创作的一次观察》は汪跃华による余華論。

もともと《当代作家评论》2000年第4期に掲載。

典型的な余華論。

・主に、余華の八十年代の創作と、九十年代の創作の間にあるギャップに関して論じた論文。そして、表面的には差異があるように思えるが、現実に対する追求という本質においては変化していない、という結論を導き出します。

また、余華が九十年代の創作のなかで歴史を取り上げていながら、その歴史は現在に通じたものとして捉えられる、と指摘します。

歴史=現在

その他、余華の現実の定義に関する分析など。


余华《没有一条道路是重复的》収録エッセイ4

《没有一条道路是重复的》は余華のエッセイ集。

「生活、阅读和写作」と名付けられた一節は、様々な話題にまつわるエッセイに関して収録。

「结束」
死に関して。ある老人が大泣きしていた記憶から。カフカの入水自殺に関する妄想、ヨーゼフ・ゲッベルスとその家族の敗戦時の自殺。詩人ハロルド・ハート・クレインの船からの身投げ自殺。自然の中に死に場所を探しながら結局単純な死を選んだ画家アーシル・ゴーキーの首つり自殺。1992/5/18

「午门广场之夜」
三大テノール(世界三大男高音)のはなし。卢恰诺·帕瓦罗蒂、普拉西多·多明戈、何塞·卡雷拉斯。2001/6/23

「关于时间的感受」
時間の不思議に関して。未来を想像した時は遥かか彼方に思えるが、過去を振り返ると昨日のことのように思える、というはなし。2000年という数字から着想を得たよう。1998/12/24

「关于回忆和回忆录」
ガルシア・マルケスの自伝に関して。研究者が事実をどれだけ整理したとしてもその時の感覚は分からない、というはなし。2001/2/10
 
「美国的时差」
アメリカ旅行に行き、アメリカの時差に驚いた、というはなし。そして、ヨーロッパ旅行では疲れないのに、アメリカ旅行では疲れ果てた、という感想など。1999/6/30
「别人的城市」
余華が北京という他人の街に住んでいることを再確認した文章。北京に関して考えるきっかけになりそうです。1995/6/21

「一年到头」
1994年の最後の月を迎えて、一年の終わりに思うことをまとめた文章。ものごとは新しくなるが、人の生活は新しくならない、という思い。1994/11/23

余华《没有一条道路是重复的》収録エッセイ3

《没有一条道路是重复的》は余華のエッセイ集。
 
「两个童年」と名付けられた前半部分は、自分の幼年期のことと息子の幼年期のことなどが綴られています。

「医院里的童年」
少年時代を振り返るエッセイ。祖父祖母に育てられることがなかったというはなし。父母は医者だったので忙しくてほとんど構ってもらうことがなかったというはなし。父親の自転車の後ろに乗ることができて非常にうれしかったという話。兄と遊んだはなし、苛められたはなし。手術室の記録をなくしてしまった話。文革の頃、兄がふざけて火事騒ぎを起こして、父親が周囲から徹底的に責められた話。病院宿舎で育ったため、遺族の泣き声を聞いて育っという話。ある夏、太平間で寝たら涼しくて気持ち良かったという話。1998/5/26

「麦田里」
父親に怒られると、よく麦畑に逃げ込んだ、というはなし。そして、夜になると戻って心配している父からギョーザをもらったというはなし。1998/2/23

「土地」
大地は寛容であり、全てを受け入れる、という内容。子供の頃の美しい農村風景。都市の子と農村の子の対立。ほらふきの少年が父親に殴られた時壁際にいて首の血管が切れて死んだこと。その遺体が埋められた墓は時とともに消滅したこと。都市の子と農村の子の対立の際、余華は農村の子に混ざり、一目置かれたこと。その代わり、葡萄を食べることができなかったこと。農村の子に騙されて、その子の祖父の葬式に同行して遠くまで冒険したこと。その帰りに余華を送ってくれた少年がとても大人に見えたこと。『活きる』のテーマに通じるエッセイ。1992/3/12
「包子和饺子」
子供の頃、バオズとギョーザが贅沢な食べ物だったこと。父親が小麦粉を買ってくると、バオズとギョーザどちらをつくるのかやきもきしたこと。父親の故郷・山東で塩辛いギョーザを食べたこと。「軍事訓練」として遠足に行く時、母からお小遣いをもらってお弁当としてギョーザを買ったこと。その際、兄からベルトを借りるためギョーザを一つあげたこと。天津に行った時、お腹が破れそうなほど狗不理バオズを食べて「百感交感」という言葉を思い浮かべたこと。1999/7

「国庆节忆旧」
国慶節にまつわる記憶に関して。パレードの準備のため、夜間長安街が通行不可になったこと。子供の頃、南方で育ったが天安門に憧れて、地元の写真館で天安門の写真をバックにして写真を撮ったこと。ドキュメンタリーの中で最初は毛沢東や壮大な花火に惹かれたが、のちには亡命してきた異国の国王の美しい妻に目を奪われたこと。剥き出しの瓦を隠すため父親が天井に古新聞を貼ったため、国慶節のたびに新聞に登場する毛沢東のうつりかわりを感じたこと、など。1999/9/19

「最初的岁月」
自伝的エッセイ。杭州で生まれて、五歳の時海塩に移り住み、病院の宿舎で生活、文革の壁新聞に衝撃を受けて、図書館ができると本をむさぼり読み、その後一年間医学の勉強を受けたが苦痛だったのでそれから逃れるため創作を始めた、というはなしなど。子供の頃、垣間見た農民の姿がとても印象に残っている、と記されていますが、その時持ったイメージが『活きる』に通じているのかも知れません。1994/4/5

余华《没有一条道路是重复的》収録エッセイ2

《没有一条道路是重复的》は余華のエッセイ集。
「两个童年」と名付けられた前半部分は、自分の幼年期のことと息子の幼年期のことなどが綴られています。

「儿子的影子」
息子の変幻自在に代わる影に関して。それに対する感動。1998/2/23

「消费的儿子」
消費時代に生まれた息子に対する不安に関して。バスではなく、タクシーにしようという息子の言葉からそれを感じ取ります。1996/8/11

「儿子的出生」
余華の子どもが産まれた時のはなし。息子が生まれることへの喜び。妻が妊娠が突然だったこと。余華は娘を望み、妻は息子を望んだこと。浙江省にある実家への帰郷。医者である父母のもとでの出産。命名したのは妻だったこと、など。1994/2

「父子之战」
父と子の戦いに関して。余華の息子に対する折檻のエスカレート。そして、余華自身の子ども時代の仮病による反抗。仮病だったはずが本当に発病したと思われて父に手術されたこと。1999/1/31