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中国文学映画関連 備忘録

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余华《此文献给少女杨柳》

《此文献给少女杨柳》は余華の短編小説。

複数の物語から成り立っている小説。

私の物語、外郷人と楊柳の物語、譚良の埋めた爆弾の物語が組み合わさっています。物語を組み合わせる鍵となっているのは「5月8日」。

私は外界を恐れて家に籠もっています。そして外出する時も全てに対して異常な警戒心を抱いています。

外郷人は私が唯一安心して話すことのできる人です。彼が、私に譚良が1949年に埋めた時限爆弾のことを語ります。沈良は1988年9月3日、記者で若者に譚良が部下を指揮して時限爆弾を埋めたことを語ります。

1988年5月8日、外郷人は目が見えなくなります。1988年8月14日少女・楊柳が車の事故で死亡して、外郷人はその少女の角膜を移植することにより視力を回復します。その後外郷人は、小城煙まで楊柳の父親を捜しに来ます。小城煙に向かう電車の中で沈良と出会い、戦争と時限爆弾のことを語ります。そして、それによって外郷人の心は埋め尽くされます。

私はある夜、道を歩いていると、ある少女が自分の胸の中に伴っていることに気付きます。その後、家にも少女はついてきました。翌朝になっても少女は部屋におり、河を見つめていました。私は不安になって家から出ました。そして、道で老いた女性と話している若者を見て、それが自分と同じであると気付きます。そして、その男を尾行していき、追いつくと私は彼に「私の内心に少女がらわれた」といいます。

彼は、十年前(1988年5月8日)の出来事に似ている、と告げます。その少女は内心にあらわれると次第に鮮明になっていきました。彼は病気を患い、上海の病院で自動車事故で亡くなった楊柳という少女から角膜の移植手術を受けていました。その後、その少女の家族を訪ねて、沈良から時限爆弾のはなしを聞きました。十個の時限爆弾はそれぞれ十年ごとにさまざまな場所で爆発したそうです。しかし、九個目と十個目は不明でした。その後、1971年9月15日、九個目が爆発しました。

5月8日に少女があらわれたことにより、動揺した私は、少女を追い払おうとしますが、次第に理解し合うようになります。そして少女に意見を求めた後、青草色のカーテンを買いに行こうとします。しかし、その途中で事故に遭い、負傷します。

1988年9月2日、私は楊柳という自動車事故で亡くなった少女から角膜を移植されて視力を回復します。その後私は小城煙に向かいます。その途中の電車で、沈良と若い男と出会います。そして沈良から時限爆弾の話を聞かされます。

私は楊柳の父親と会い、話します。そして父親に楊柳は8月14日に死んだが上海に行ったことはなく、自分の部屋で死んだ、と言われます。私は疑問に思って、父親にその楊柳の部屋に入れてもらいます。そして、自分と同じように楊柳もある男が次第に鮮明になってくる、という経験をしていた、と聞きます。その男のイラストを見ると全く知らない人でした。

私がその後道である男を追っていくと、その男から、時限爆弾のことを知らされます。その男こそが、イラストに描かれた男でした。
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余华《没有一条道路是重复的》収録エッセイ6

《没有一条道路是重复的》は余華のエッセイ集。
「生活、阅读和写作」と名付けられた一節は、様々な話題にまつわるエッセイに関して収録。
「我的写作经历」
余華の創作の経歴に関して。1983年から創作を開始したが、初期の作品は訓練期間のものとみなして作品集などに収録していません。当時の作品は川端康成の強い影響下にあったと本人は認識しています。そして、1986年からカフカの叙述の自由さに影響されて、先鋒文学とみなされる一連の作品を発表。興味深いのは、中国では、余華に対する西洋文学の影響が取沙汰されるのに、西洋で翻訳されるとその点は論じられない点。「先鋒文学」という呼称自体が単なる口実であり、実質は、真実性の概念に対する再認識だったと余華は記します。九十年代になると、長編小説の執筆を開始します。余華は、それまで登場人物を作者が意図した記号と考えていたが、登場人物自身の発言を聞き取るようになったと記しています。

余華は次第に生き生きとした情感に興味を持つようになり、文学は実験ではなく、理解と探索だと考えるようになったと記しています。1998/7/11


「我为何写作」
イタリアで行われた文学論壇のための原稿。自分の文学の経歴を振り返る内容。歯科医から文学者へ。文学は人の心を柔らかくするということ。文学は人を特異にすること。本のない文革期から諸々の文学があふれる時代へ。外国文学から叙述を学んだが、自分は中国人の方式で成長して思索していること。ダンテとボルヘスに言及。ダンテの放たれた矢の表現、ボルヘスのもう一人の自分の声に対する表現。1997/11/13

「长篇小说的写作」
長編小説の創作に関して。蘇童が登場。短編小説は思い通りに操作できるが、長編小説は思い通りにはいきません。そして、少しでも悪いものが混じるとその続きまで悪くなるそうです。体力と精神力が試される、という感想。カフカ『審判』、ホーソーン『緋文字』、フォークナー『響きと怒り』の冒頭に言及。また、ヘミングウェイとマルケスは続きが分かった上で翌日に執筆を引き継ぐ、というはなし。1996/4/5

「网络与文学」
インターネットと文学に関して。両者の相違点と共通点。インターネットと生命科学が、外側と内側から人類を変えようとしている、という現状認識。インターネットによって、物体としての本が消えるという不安。そして、無料であらゆる文学が公開されることによって出版が消えるのでは、という不安。余華はその出版の消滅の不安に対して、心配はない、という認識を示します。別の制度が登場する、という考えがあるためです。また読書が消滅するのでは、という不安に対しても、人類は読書から離れることはないという認識を示します。

インターネットは作者と読者の関係を変えて、誰もが作者と読者になることができる機会を与えた、と余華は認識。簡単にまとめると無限の空間と無限の自由。文学はその時々の時代の人々の心に残り、また文学史にも残る、というはなし。インターネットは文学と同じように虚構の世界をつくりあげる、という考え。そして、インターネットはさらに進んで、文学とクレジットカードを組み合わせたようなものだ、という考えなど。1999/5/9

「文学和民族」
韓国民族文学作家会議での講演の原稿。日本の文学はすこし理解しているが韓国の文学はほぼ知らないというはなし。なぜならば、中国では、韓国文学の出版がほとんどないため。ただ、大江健三郎のノーベル賞受賞スピーチで中国韓国に言及したように、連帯がうまれつつあるのでは、という認識。韓国の学者が、韓国の政府主導の「民族文学」に対する疑義は、中国の現状とも通じる、という認識。民間から歌を拾ったハンガリーのバルトークへの言及。その在り方こそが、民族に根付いたものといえるのでは、という認識。また、ハンガリーと韓国は置かれた位置が近いのでは、という考え。また中国も同じように文化大革命を知らずアメリカに憧れる若者が圧倒的に多く、グローバル化の中で厳しい位置に置かれているということ。グローバル化において重視するべき、目を向けるべきは、差異性。1999/6/5

「没有一条道路是重复的」
小説集の序。読書とは何か、という問いに対する余華の考え。2001/10/15

「谁是我们共同的母亲」
莫言が執筆した《欢乐》中の蚤にたかられる母の描写が激しい批判にさらされたことに対する分析と擁護。人々は文学の中に理想の「母」を追い求めて、現実の母を拒否するが、莫言はかえって母を描いている、という指摘。そして、全体から切り離して母を侮辱した、と批判することの無意味さ。1995/4/11

「歪曲生活的小说」
斯卡尔帕という小説家の作品に関して。きちんとした現実の上に、歪んだ生活が描かれている、という指摘。2003/1/2

王征《日常经验的再现——论余华近年来创作走向》

《日常经验的再现——论余华近年来创作走向》は王征による余華論。

もともと《上海师范大学学报》2000年第1期に掲載。

さまざまな観点から余華文学を分析する内容となっています。

「名前を失った主体」・・・余華の作品の中では、名前を失っているものがいる、という指摘。
「民間の血」・・・言及されるのは、《一地鸡毛》《许三观卖血记》《活着》など。血に関して。

「民間倫理関係の再発見」・・・初期作品では子供の視点から恐ろしい「父」が描かれていたが、あとになると父の視点から歴史の残酷さなどが描かれるという指摘。

「"三"あるいは"繰り返し"の機能」・・・民話などのなかでは三という数字が頻出することを踏まえて、余華の小説のなかでも三が頻出することを振り返る内容。言及されるのは、《鲜血梅花》《此文献给少女杨柳》《许三观卖血记》など。

上海の復旦大学の研究者たちの学説の影響がみられます。

余华《鲜血梅花》

《鲜血梅花》は余華の短編小説。

武侠小説を換骨奪胎した内容になっています。

十五年前、梅花剣の使い手として名の知られた阮進武は、二人の人物によって殺されます。その息子である阮海闊は、青雲道長と白雨瀟に父親の仇を聞いて仇討ちを果たすように、と母親に言われて梅花剣を渡されます。その後、母親は家に火を放ち、自殺しましした。その後、阮海闊はあてもなく、ひたすら放浪します。

阮海闊は、体中から毒を放つ口紅女(胭脂女)のもとに一泊します。その時、「青雲道長にあったら、劉天がどこにいるか聞いてほしい」と頼まれます。その後、阮海闊は、髪の毛を武器にする黒針の大侠(黑针大侠)と出会い、今度は「青雲道長にあったら、李東はどこにいるか聞いてほしい」と頼まれます。その後、阮海闊は、偶然、白雨瀟と同じ船に乗りますが、白雨瀟と気付くことができませんでした。

その後、阮海闊は、遂に青雲道長と会い、口紅女と黒針の大侠の頼みを果たして劉天と李東の行方を知りますが、父親の仇の名を聞くことに失敗します。そして、また放浪し続けることになります。その後、口紅女と黒針の大侠に劉天と李東の行方を伝えます。阮海闊は、再び白雨瀟と再会して、その時、口紅女と黒針の大侠によって劉天と李東がそれぞれ殺されたことを知ります。

ボルヘスを思わせる奇妙な小説です。
煙と水の描写が印象的。そして、繰り返し使われる遥遠という言葉も印象深いです。

結果として、阮海闊は、思わぬ形で敵討ちを完遂することになります。ただ、それは意図したものでは全くありません。偶然の結果です。

名剣として語られる梅花剣は一度として使われることはありません。他の人たちが阮海闊を識別する際に用いられるだけです。武侠小説を換骨奪胎して、異なる物語にしているといえます。余華の巧みさがよくあらわれています。

余华《往事与刑罚》

《往事与刑罚》は余華の執筆した短編小説。

物語の主な登場人物は、見知らぬ人(陌生人)と刑罰の専門家(刑罚专家)。二人の交流に沿って物語がすすんでいきます。ただ、二人は同一人物のようです。

1990年の夏、見知らぬ人が来歴不明の電報を受け取った場面から物語は始まります。その電報には「速回」とだけ書かれていました。見知らぬ人は、1965年3月5日という見知らぬ人の方向を決定している日にいこうとします。数日して見知らぬ人は「煙」という名前の小さな村につき、刑罰の専門家と出会います。そして、二人の対話と交流が始まります。

交流の中で
1965年3月5日以外にも四つの重要な期日があったと気付きます。さらに刑罰の専門家は見知らぬ人に向かって「私はあなたの過去なのだ」と言い放ちます。刑罰の専門家はあらゆる刑罰を掌握していますが、首つりを卑しんでいます。彼は様々な期日を様々な刑罰で殺してきました。

刑罰の専門家は、見知らぬ人の同意の上で刑罰を執行しようとします。彼が試そうとしたのは、きらめくガラスの上で体を二つに断ち切り、そのきらめきを感じるという刑罰です。しかし、刑罰の専門家が年老いて力を失っていたため、刑罰は失敗します。その後、刑罰の専門家は、みずからの素晴らしい刑罰によって自分を殺そうとしますが、たびたび失敗します。そして、最終的に首をつって死にます。

暗示に満ちた作品。

余華が、初期、常々作品の中でテーマとして取り上げてきた刑罰がここでも取り上げられています。莫言の作品の中でも、残虐な刑罰が描かれることが多くありますが、二人の間に共通する要素があるのか、という点は興味深いです。また、余華自身は常々カフカの影響下で書いた、と記していますが、カフカの『流刑地にて』などと比較しても面白いかも知れません。

見知らぬ人と刑罰の専門家をどのように解釈するかによって、作品全体の解釈が変わります。