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中国文学映画関連 備忘録

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メモ 吴义勤というひとにかんして

吴义勤
http://www.wxg.org.cn/gydh/zjml/2011-07-06/22083.shtml


一、简历:  

    1995年山东师范大学中文系任教;同年破格晋升副教授;1997年破格晋升教授;1998年,任博士生导师(时32岁,为当时中国高校文科最年轻的博士生导师)。  

    2001年起历任中文系副主任、新闻系主任、文学院副院长、语言文学研究所所长、中国现当代文学国家级重点学科带头人、中国语言文学一级博士授权点第一学科带头人、山东省省级强化建设重点学科带头人、山东省文化建设重点研究基地首席专家。  

     2002年10月至2009年5月任山东省作家协会副主席。  

     2009年5月起任中国现代文学馆副馆长;  

     2010年7月起任中国现代文学馆常务副馆长;  

     2013年11月中国现代文学馆馆长。  

二、指导博士生情况:  

    1999年起在山东师范大学招收博士生。  

    1999-2009年独立指导博士生30余人,其中三位博士生的论文获山东省优秀博士论文奖。  

    现在南京大学和山东师范大学招收博士研究生  

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岩佐昌暲・編『中国現代文学と九州 異国・青春・戦争』2

『中国現代文学と九州 異国・青春・戦争』は、さまざまな中国文学研究者が、近現代の中国文学作家と九州との関わりに関してまとめたもの。非常に興味深いです。

「第4章 夏衍と北九州」
夏衍は中国の著名な劇作家。左翼作家同盟設立において中心的な役割を果たして、多くの脚本を発表。後には中日友好協会会長もつとめました。

夏衍は明治専門学校(九州工業大学)に在籍。九州と関わりを持ちました。明治専門学校は、もともと安川敬一郎が設立。安川敬一郎の孫文など中国との不快つながりのため中国人学生を受け入れていたそう。

九州の炭鉱業界の利益が、日本における自由民権運動や中国の民権派活動の資金源というはなしなど興味深かったです。

「第5章 冗海を見ていた墓-魯迅と鎌田誠一」
魯迅とある日本人の友情に関して。魯迅は、1934年5月に結核で亡くなった日本人・鎌田誠一のためにわざわざ墓碑を書きました。鎌田誠一は、上海内山書店の店員。彼は、1932年上海事変の時、日中間の戦闘が激化する中、魯迅を守るため、租界や内山書店への避難と潜伏を援助しました。また、二人は芸術関連の話題でも意気投合していたようです。

「第6章 魯迅と長崎」
魯迅の長崎に対する思いに関して。魯迅は療養のため、長崎に来たいと願いながら一度も来ることができませんでした。なぜ長崎なのかという点に関する研究。著者は、長崎におけるキリスト教徒に対する弾圧が魯迅にとって興味深かったのでは、と指摘。

一方、その妻、許広平は戦後原水爆の大会に参加するため長崎に来ているそうです。

「第7章 「満州国」詩人矢原礼三郎と『九州芸術』」
名前の知られていない詩人・矢原礼三郎に関して。矢原礼三郎は九州の文壇と満州の文壇にかかわりを持ち、詩を執筆。とくに目を引くのは、日本に対して批判的な立場の満州国詩人との交友がある点。また、日本を批判しているとみられるがある点。

「第8章 内なる自己を照らす「故郷」-坂口れい子の文学における台湾と九州」
戦後、台湾の原住民をテーマにした小説を書いて芥川賞候補にもなった坂口れい子に関して。戦前台湾で執筆した小説と、戦後日本で執筆した小説をつなげて考える必要があるとの指摘。

「第9章 魯迅と郭沫若-その九州大学との関係」
 魯迅と郭沫若を九州大学に招こうという計画があった、というはなし。



余华.杨绍斌《“我只要写作,就是回家”》

《“我只要写作,就是回家”》は余華と楊紹斌の対談。

取材のような形で、余華の創作がまとめられています。1998/10/22

《许三观卖血记》《活着》に関して。その売れ行き、着想をえたきっかけ、など。創作に関して。少年期を過ごした故郷の経験が何と言っても重要という考え。読書体験に関して。どのような作家に惹かれてきたのか。

基本的にはエッセイで述べている内容と同じ内容。

王府井で大泣きしている老人に会った記憶が《许三观卖血记》を執筆し始める上で重要だった、という記録は印象的。

また、聖書のような本を書きたい、という願望を語っていますが、後の《第七天》を予見させる言葉となっています。

岩佐昌暲・編『中国現代文学と九州 異国・青春・戦争』

『中国現代文学と九州 異国・青春・戦争』は、さまざまな中国文学研究者が、近現代の中国文学作家と九州との関わりに関してまとめたもの。非常に興味深いです。

「序章 中国現代文学と九州」
内容全体の概観。

「第1章 文学者郭沫若と九州の縁」
郭沫若と九州の関係に関して。詩や散文を参考にしながら、郭沫若が九州の自然に魅せられていた、ということを明らかにしていきます。また、郭沫若の文学にとって九州の風土が大きな意味を持っていた、ということも示します。

「第2章 陶晶孫と福岡」
陶晶孫と福岡の関係に関して。陶晶孫は福岡を好んでいませんでした。東京の生活を経た後、福岡に来たため、田舎とも都会ともいえない福岡に対して好感を持ち得なかったのかも知れません。その結果なのか、当時の作品は、後の作品とは違って、暗くナイーブな側面が色濃いそうです。

福岡を愛した郭沫若と、福岡を愛さなかった陶晶孫の対比は印象的。

「第3章 張資平と九州・熊本―旧制五校の青春」
旧制五校で学生生活を送った張資平に関して。本人の小説などを参考にしながら、当時の生活を分析しています。「ヨルダン川の水」という小説の内容によれば、当時、熊本に心を通わす人がいたようです。

余华《没有一条道路是重复的》収録エッセイ7

「奢侈的厕所」
豪華なトイレに関して。トイレという蔑まれる場所が気付かない内に豪華になったことの意味。また、昔トイレに刻まれていた性的な言葉やイラストは、性に対する抑圧を物語っていた、という指摘。1995/1/2

「什么是爱情」
朱徳庸氏のマンガ《双响炮》に関して。《双响炮》は弱い男と強い女からなる中年夫婦の結婚の危機と、生活の悩みに関して。2003/1/5

「虚伪的作品」
余華の創作に対する態度に関するエッセイ。非常に意味深長。1989/6

「川端康成和卡夫卡的遗产」
余華が愛読した川端康成とカフカの小説に関して。1982年から川端康成を愛読するようになり、1986年からカフカを愛読するようになった、と余華は記しています。そして、カフカによって川端康成の呪縛からも解き放された、と指摘しています。1989/11/17

「文学中的现实」
文学のなかの現実に関して。『死者たちの七日間』を予見させるエッセイとなっています。

余華は、文学における現実を考える上でたとえば二つの事件が参考になる、と記します。トラックの衝突事故と、飛び降り自殺の事件です。その二つの事件に注目したのは、「なぜならば、二台のトラックが衝突した時、発生した巨大な物音が、公路の両脇の木の上にいた雀をばらばらと地に落として、高層ビルから飛び降りて自殺した人は激烈な衝突によって彼のジーンズが破裂させられたからだ」そうです。その点によって記憶に留められるからこそ、文学の中の現実になるというのが余華の論理です。
また、細部によって、文学の中の現実を成立させている人たちとして、ダンテ、ボルヘス、ユルスナール(尤瑟纳尔・フランスの小説家)を取り上げています。言及されているのは、ダンテのはなたれた矢の表現(的にあたり、矢が放たれた)、ボルヘスのもう一人の自分に会った際の声の表現(録音機からきこえるよう)、ユルスナールの林の切断されたが再接合する際の表現(首にまきつく奇怪な紅いマフラー)。2003/3/10