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中国文学映画関連 備忘録

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岡本隆司『近代中国史』

『近代中国史』は経済の観点から中国の近代史を考察したもの。

非常に示唆に富んだ内容です。

まず自然環境と開発の歴史から中国の歴史を区分します。黄河を中心とした華北が発達して、あとから長江下流域を中心とした江南が発展したという流れ。そして、王朝末期には矛盾が噴出して人口が減少する傾向。政府の手が及ばない莫大な人々。

国と民の乖離、極端な「小さな政府」、自己保存のためだけにあるような政府、納税者がほぼ富裕層という現実、汚職の慣習、階層差別を正当化する科挙制度、特権階級としての士大夫、国と民の間にいる「郷紳」、宗族、同郷同業で結ばれた中間団体、そして、秘密結社。

思想と行為の不一致。重農の虚構、実際のは力を持った商業。

唐宋の「商業革命」と挫折から、明代の伝統経済の成立へ。明代初期の中華イデオロギー、南北格差解消のための現物主義と、その税制。朝貢と海外貿易の禁止。その初期のシステムの破綻、銀納化と地方分業化、通貨の氾濫。そうして、伝統経済の成立へ。

伝統経済を背景とした、康熙帝の時代の銀の流入と景気の回復、清代の人口の急激な拡大、移民の発生、貧困の拡大。

その後の経済の流れもよく説明されています。

密貿易と外国資本に支えられた買弁の発生。茶、生糸が中国からイギリスなどへ、イギリスの植民地インドからアヘン、綿花が中国へ、という三角貿易の形成。貿易の拡大と太平天国による蘇州占領がもたらした上海の勃興。中央政府が力を持たないからこその外国人への関税の委任、不平等条約の締結、リ金(国内商業税)導入による総督の強大化。総督による中間団体の取り込み。

銀の下落による、大豆、羊毛、皮革、綿花、鶏卵輸出の拡大。地方分業から分立への流れ、インド綿糸の流入、原料を輸入し製品を輸出するタイプから、その逆のタイプへの変化。総督などを中心とした個別の工業化の動き、政府が機能しないことによる資本主義化の失敗。日清戦争によってもたらされた賠償金、それを賠償するために動き始めた中央政府、中央と地方の対立、湖北・湖南の張之洞、東三省の張作霖のような地方の分立、中央政府・袁世凱による外国からの借款と軍閥排除、そして貨幣統一の動き。貨幣統一の成功、地方分業の成功、黄金時代、国民政府による経済政策の実現、国内産業の保護の成功。

共産党による二つの目覚ましい成果は、土地改革と、管理通貨。それによって、国内の統一と世界経済からの独立を果たした。ただ、それは大きな問題もはらんでいた。改革開放が始まると、再び沿岸と内陸の格差という問題を引き起こした。



【目次】
I ステージ──環境と経済
 1 自然環境と開発の歴史 
 2 人口動態と聚落形態
II アクター──社会の編成
 1 政府権力 
 2 科挙と官僚制 
 3 民間社会
III パフォーマンス──明清時代と伝統経済
 1 思想と行為 
 2 明朝の成立と中国経済 
 3 転換と形成 
 4 伝統経済の確立 
 5 伝統経済の特徴 
 6 景気の変動 
 7 経済体制と社会構成の定着
IV モダニゼーション――国民経済へ向かって
 1 序曲――一八七〇年代まで
 2 胎動――一八九〇年代まで 
 3 進展――日中戦争まで
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孫文「東京留学生歓迎会における演説」

「東京留学生歓迎会における演説」は、孫文が東京の中国人留学生に向けておこなった演説をまとめたもの。

『原典中国近代思想史 第三冊』に収録。1905年8月13日の演説。

近藤邦康翻訳。

今では革命が必要であると誰もが認めている。日本は最初は中国の文化を、後には西洋の文化を取り入れて発展したが、中国が自身の文化を転用するならば、日本を追い越すことができること間違いない。中国は、五千年の歴史がある。他の古代文明は滅びたが中国は滅びなかった。

そして、ヨーロッパでも日本でも古いものは新しいものにすべて置き換わったのだから、中国でも同じようになる。中国は大きく、強く、中国が発憤して強者となれば、誰からも蔑まれないだろう。日本の維新は数人の志士が原動力となってわずか三十数年で成し遂げられた。中国でも同じようにできるだろう。中国でも段階を踏んでいくべき、というものがいるが、それは道理から外れている。最新のものをとれいれたら良いのだ。共和ができない、というものはそれこそが進化の公理に反する。

韓鋼、辻康吾『中国共産党史の論争点』まとめ2

『中国共産党史の論争点』は、中国共産党中央党学校党史研究室教授の韓鋼が、中国共産党の党史のなかで問題とされている論点を整理した文章。
官方党史を疑う姿勢が保たされています。


・「文化大革命」の原因に関する問題・・・文化大革命がなぜ.どのような原因で起こったのか、という論点に関してさまざまな学説を紹介。過ちを糊塗するためにさらに過ちを重ねた、という主張など。著者は、毛沢東がどうして/どのように文革を発動したのか、毛沢東という要素を経て、どのように文革という形で中国の要素が発露したのか、という二つの観点から議論するべき、とまとめます。

・中国共産党第九回大会での政治報告の起草をめぐる問題・・・毛沢東と林彪の意向が一致していたはずの時期に、すでに毛沢東と林彪の間に軋轢が生じていたのでは、という点に関して。

・「第一号号令」の問題・・・林彪が毛沢東に事前に連絡せずソ連に備えて臨戦態勢を整えたことは、後に林彪の罪とされたが、本当に毛沢東に通達はなかったのか、という論点に関して。

・国家主席設置と九期二中全会の問題・・・林彪が国家主席設置によって、毛沢東に反抗しようとした、という通説に対する反論など。

・「九一三事件」の問題・・・林彪の乗った飛行機が墜落した事件に関して。原因は何か、毛沢東、周恩来がどう対応したのかといった点に関する様々な学説のまとめ。

・「四人組」粉砕の問題・・・華国鋒を始めとした人々が「四人組」を打破した時、誰がどのような形で協力したのか、という点に関して、様々な学説をまとめたもの。

・中ソ関係の問題・・・中ソ関係が蜜月関係から、きわめて険悪な関係になっていくまでの経過を研究した資料に関するまとめ。たとえば、指導者の感情に注目して、スターリンの死後、毛沢東とフルシチョフは対等になったと感じたため軋轢が生じた、という主張など。


その後に、辻康吾による「第Ⅱ部 解説 中国における歴史と権力」が収録されています。

中国では、権力が、歴史を正当性の根拠として利用してきたたため、実証的な歴史研究が妨げられてきました。そして、「官方歴史学」が、毛沢東の神格化を筆頭としてさまざまな歴史の歪曲を行ってきました。しかし、文化大革命の後、「新時期歴史学」が立ち上がり、共産党がつくりだした歴史を相対化する立場から歴史を研究するようになりました。しかし、他にも、両岸関係、日中関係に関する歴史をはじめとて、まだ残された問題がある、と著者は指摘します。

著者が感じた、「現代化」と「近代化」の差異への指摘は興味深いです。

巴金『リラの花散る頃』収録作品1

『リラの花散る頃』は巴金の短編小説集。さまざまな年代の作品が網羅的に収録されています。

「ロベールさん」《洛玻爾先生》1930
ジャックという少年は、愛の歌を歌い続ける老人ロベールさんを疎ましく思っています。しかし、ジャックは母親から注意されて、ロベールさんを丁寧に扱うようになります。あるとき、ロベールさんが姿を見せなくなります。ジャックは心配してロベールさんのもとに赴きます。ロベールさんはベッドで、自分が音楽家であり、かつて母親とあやまちをおかした、と告げます。そして、ジャックの実の父であると明らかになります。その後、ジャックはロベールさんを看取ります。


「リラの花散る頃」《丁香花下》1930
フランスの物語。兄アンドレを戦争で失ったイフラのもとに、兄の戦友アンリが訪れます。アンリは、アンドレが最期に残した手紙を手渡しました。その手紙には、イフラの恋人であるルートヴィヒを殺してしまい、戦争の残酷さと無意味さを悟った、という告白が書かれていました。


「バラライカの思い出」《啞了的三角琴》1931
父の書斎に弦の切れたバラライカがかかっていた。主人公の少年はそれが気になって父が留守の間にバラライカに手を伸ばしますが、誤って落下させて壊してしまいます。その後、父は、そのバラライカと亡き母の来歴を語りました。かつて、父母がシベリアの流刑地に音楽の採集に出かけた時、ラジチェフという男と会いました。そのラジチェフは来訪者のおかげで、バラライカを渡されて、素晴らしい演奏を行いました。しかし、その後はまた泣きながら、監獄の音楽のない生活に戻されました。その時、父母はラジチェフから「ヤロスラブリ州の××村の教会の聖母像の前にラジチェフに代わってろうさくをたててほしい」とお願いをされましたが、忙しくてそのお願いを聞き届けることができませんでした。それを忘れないためバラライカはずっとかかっていたのでした。


韓鋼、辻康吾『中国共産党史の論争点』まとめ1

『中国共産党史の論争点』は、中国共産党中央党学校党史研究室教授の韓鋼が、中国共産党の党史のなかで問題とされている論点を整理した文章。

官方党史を疑う姿勢が保たされています。

第1部 中国共産党史の論争点
・陳独秀評価の問題 共産党の歴史の中で不当に貶められてきた陳独秀の再評価の動向に関して

・富田事件とソビエト区反革命粛清の問題・・・苛烈な粛清が冤罪とされた件に関して

・長征途上の「武力解決」に関する密電の問題・・・毛沢東・周恩来と張国濤の対立に関して

・「西路軍」の問題・・・悲劇的な末路をたどった「西路軍」は、張国濤の独断ではなく、もともと中央、そしてソ連の意向に沿った行動だった、という指摘。

・延安整風と「搶救運動」の問題

・朝鮮戦争の問題・・・朝鮮戦争が勃発した理由などに関して。ソ連が、もともと旅順、大連の不凍港を中国に返還した結果新たな不凍港を探さざるを得なかったため、朝鮮戦争強力に踏み切ったのでは、という指摘など。また朝鮮戦争の結果、中国が得たもの、失ったものに関して。損失が多かったのでは、という学説など。

・過渡期の総路線と社会主義改造の問題・・・毛沢東は新民生主義をなぜ捨てたのか、に関するさまざまな学説。

・「高崗・饒漱石事件」の問題・・・高崗はソ連との独自のつながりを持ち、劉少奇、周恩来と対立した。毛沢東に重用されながら、結局切り捨てられた高崗という人物に関して。

・反右派闘争の問題・・・毛沢東が批判をあおった結果、予想以上の批判が巻き起こり、方向転換して引き締めに図ったことに関して

・「大躍進」と人民公社化運動の問題・・・「大躍進」政策の時期に、どれだけの人が亡くなったのか、二千万、四千万などの様々な学説に関して。そして、当時、異常気象のため被害が拡大したとされるが、実際は異常気象ではなかったのでは、という指摘。

・一九五九年の蘆山会議の問題・・・なぜ毛沢東は突如として彭徳懐批判に走ったのか。背景には、ソ連からの外圧があったのでは、という指摘など。

・七千人大会の問題・・・大躍進の反省の時、劉少奇はその失敗の深刻さを強調したが、毛沢東は毛沢東をたたえて毛沢東主義の徹底が足りなかったといった林彪のほうを喜んだというはなし。

・「四清」運動の問題・・・毛沢東と劉少奇の矛盾はいつから発生していたのか、という点に関して。