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中国文学映画関連 備忘録

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余华《十八岁出远门》

《十八岁出远门》は、余华の出世作とみなされている短編小説。1986年11月16日。

十八歳になった少年が経験する不条理な出来事を描いています。

少年は宿を目指して歩き続けています。しかし、宿が見つからないので、エンストして停車している車を発見して、運転手のためにタバコの火を点けることにより、車に同乗させてもらいます。その車は大量のリンゴを輸送している最中でした。その後、車は出発しますが、またエンストします。修理できないので運転手は車外で運動を始めます。少年は、運転手のために煙草の火を点けて車に乗ります。その後、車はまたエンストします。その時、五人の男が自転車であらわれます。そして、リンゴを強奪していきます。少年は男たちを止めようとして争いますが、殴られます。運転手はその様子を嬉しそうに眺めています。その後、さらに大量の人たちが現れてリンゴを強奪していきます。少年は運転手を憎らしく思います。最終的にトラクターがあらわれて、タイヤや板などを根こそぎ強奪していきます。さらに運転手は少年のバックまで強奪してトラクターに乗り、去っていきます。少年と車は傷だらけになり、取り残されます。少年は車の座席に横になり、父親から「18歳になったのだから、外の世界を理解しにいなければならない」と言われて紅いバックを背負って喜び勇んで家を出た時のことを想起します。

寓話的な小説。

「アスファルトの道路は曲がりくねっていて、道はまるで波に張り付けられているかのようだ」という一節から物語は始まります。細かい描写は具体性に富んでいるので、場面として想起しやすいです。映像化が極めて容易です。

また少年の紅いバックと、車の輸送している紅いリンゴなど、紅が物語全体の中で際立っています。リンゴの意味、物語全体の意味など、さまざまな解釈が可能なように思われます。その紅を、共産党の意味ととらえるならば、無邪気に共産党の理念を掲げた少年(紅衛兵?)が現実世界において大人たちから裏切りに遭い、失敗する物語とも読めます。

水が余華の作品の中では頻出しますが、水はいかなる意味を持っているのかと考えてみたいと感じました。
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吴宇森《英雄本色》『男たちの挽歌』

《英雄本色》『男たちの挽歌』は、吴宇森監督が制作した1986年の映画。

物語の軸となっているのは、宋子豪(狄龙)、宋子杰(张国荣)兄弟の葛藤と和解です。そこに宋子豪(狄龙)と李马克(周润发)の友情、宋子杰(张国荣)とJackie(朱宝意)の恋愛の物語が組み合わされています。

宋子豪(狄龙)はマフィアの一員として偽札造りに携わっています。しかし、弟の宋子杰(张国荣)が警察官になるので足を洗うことにします。そして、台湾での取引を終えた後、止めることにしますが、その取引が警察に知られて失敗、宋子豪は逮捕、収監されます。香港では、兄弟の父が襲撃されて殺されます。一方、宋子豪の親友・李马克(周润发)はレストランで敵を皆殺しにしますが、足を負傷して引きずるようになります。
三年後、宋子豪の部下だった狡猾な谭成(李子雄)が、マフィアを仕切っています。出獄した宋子豪はマフィアと縁を切り、タクシー運転手として更生を目指します。しかし、警官となった宋子杰はJackieのとりなしも聞かず、宋子豪を極度に嫌悪します。一方、李马克(周润发)は落ちぶれて、マフィアで雑用となっていました。
谭成は宋子豪に協力するよう脅します。そして、宋子杰を罠にはめてけがを負わせて、宋子豪の職場を破壊し尽くします。追い詰められた宋子豪は、李马克(周润发)に促されるようにして、再び銃を手に取ります。二人は、偽札造りの証拠を強奪して、谭成に金銭と船を要求して香港から出ていこうとします。その取引の現場となった波止場で、銃撃戦が始まります。最終的に、李马克(周润发)は宋子杰を諭している時に射殺されます。二人は猛烈に反撃します。宋子豪は谭成を射殺した後自首します。

「香港ノワール」の源流とされる映画。香港映画が世界的にも注目されるきっかけともなりました。銃撃戦が非常に派手です。そして見ごたえがあります。

この映画を通して、周润发が一躍スターに踊り出たそうです。

非常にテンポが良いです。

日活のアクション映画の影響を受けているという指摘もあります。日活のアクション映画自体を見たことがないので、今度見比べてみたいです。


《英雄本色》(1986■吴宇森■狄龙、周润发、张国荣■『男たちの挽歌』)

王家卫《堕落天使》『天使の涙』

《堕落天使》『天使の涙』は王家卫が制作した1995年の作品。

天使1号(黎明)は殺し屋です。一切の仕事は天使2号(李嘉欣)が彼に替わって手配しています。彼らは長きにわたって協力しあっています。天使3号(金城武)は5歳の時からパイナップル缶を食べ続けて喋ることができなくなりました。彼は無理やりさまざまなものを売り込んでお金を儲けています。ある夜、彼は天使4号(杨采妮)と出会い、彼女に恋をします。天使1号は次第に天使2号に対する愛を感じて,しかし、彼は天使5号(莫文蔚)と出会い、愛し合います。天使1号はもう殺し屋を辞めることにしますが最後の仕事に失敗して射殺されます。天使3号は父の映像をとっていましたが、父は世を去り、繰り返しその映像を見ます。殴られて傷だらけになった天使3号は一人スパゲティを食べる天使2号と出会い、彼女をバイクで送ります。

全く喋ることのない金城武の演技が非常にコミカルです。金城武は、よくエキセントリックともいえるような性質のキャラクターを演じていますが、非常に魅力があります。

沈黙と饒舌の対比は各所で用いられています。天使1号(黎明)が人を殺した後、バスの中で延々喋りかけられる場面もあります。

また、謎の金髪の女である天使5号(莫文蔚)が非常に引き立っています。

天使3号(金城武)が撮った父に関する映像から、映像をとって編集することに関して考えさせられます。

王家卫の映画では、掃除をする場面、食事をしている場面などが描かれます。今回の映画では、天使2号(李嘉欣)が掃除をする場面、食事をしている場面などが印象に残ります。


《堕落天使》(1995■王家卫■黎明、金城武、李嘉欣、杨采妮、莫文蔚■『天使の涙』)

王家卫《東邪西毒》『楽園の瑕』


《東邪西毒》は王家衛が制作した1994年の映画。2008年にも異なる編集を施された《东邪西毒:终极版》が各地で上映されたそうです。
 
武侠映画。金庸の『射鵰英雄伝』中に登場する「東邪」黄薬師と「西毒」欧陽鋒をモチーフにしています。しかし、物語自体は王家衛がつくりあげたものです。武侠映画ではありますが、王家衛らしさが全面に押し出されています。
 
物語の軸となっているのは欧阳锋です。ただ、あらすじや背景知識を知っていないと、物語を理解することが難しいかも知れません。
 
欧阳锋(张国荣)は兄が結婚する日、故郷の白駝山を離れます。なぜならば、兄嫁(张曼玉)が彼の最愛の人だったからです。彼は砂漠に隠居して一軒の旅館を開き、侠客として殺人を請け負うようになります。剣士・黄药师(梁家辉)は欧阳锋の友人です。毎年、砂漠にきて欧阳锋と酒を飲みかわします。その後、欧阳锋の兄嫁(张曼玉)に会いに行きます。今年、彼は「醉生梦死」という飲むと一切を忘れさせるといわれる酒を持ってきます。
 
慕容燕(林青霞)は大金を出して欧阳锋に黄药师を殺すよう頼みます。なぜならば黄药师が彼の妹・慕容嫣をだましたからだと彼は言います。しかし、慕容嫣(林青霞)は欧阳锋に慕容燕を殺すように迫ります。なぜならば彼女の兄は彼と黄药师が一緒になることを認めないからです。しかし、慕容燕と慕容嫣は同一人物です。黄药师が彼女を騙したため、彼女の自己が分裂してしまったのです。彼女は寂しさに包まれます。のちに彼女は「独孤求敗」となります。
 
盲目の武士(梁朝伟)は桃花の夫です。もともと黄药师の友人でした。しかし、桃花が原因となって黄药师と衝突します。彼は様々な地方を駆け巡り、失明する前に故郷に帰って桃花と会いたいと願っています。彼は仕事を任せられて、一人で数百名の馬賊と戦います。そして命を落とします。
 
村姑(杨采妮)は弟の敵を討つために殺し屋を探しています。しかし、金がないため欧阳锋に断られますがずっと離れません。洪七(张学友)は裸足の侠客です。欧阳峰が彼に馬賊を討つようにさせます。そして、彼は馬賊を打ち倒します。その後、村姑の願いにこたえて,太尉府の剣客たちを倒します報酬は卵だけでした。彼は自分の妻を伴って江湖に乗り出します,彼はのちに「北丐洪七公」となります。
 
 
画面の中で、女性が物にすがりつくようにうつされていることが多くあります。また、女性は水と関連付けられています。水は物語の舞台である砂漠と対照的なものです。その点が非常に興味深いです。
 
顔をうつしているにも関わらず、様々な障害物によってよく見えないこともあります。その見えるべきものが見えない点など工夫されています。
 
 
《東邪西毒》(1994■王家卫■张国荣、梁家辉、林青霞、梁朝伟、刘嘉玲、杨采妮、张学友、张曼玉■『楽園の瑕』)

陈凯歌《黄土地》『黄色い大地』

《黄土地》は陈凯歌が制作した1984年の映画作品。

中国映画界のニューウェーブ登場を、中国のみならず世界にまで印象付けた傑作として評価されています。すでに数多くの評論があります。

共産党八路军の文芸工作員である顾青は民謡を採集する仕事についています。顾青は、陕西の黄土高原の村に訪れます。そして,父親、弟憨憨とともに慎ましく暮らす農家の娘・翠巧と出会います。顾青は延安は開明的だといいます。そのことが翠巧の憧れを呼び覚まします。しかし、翠巧は村で望まぬ婚姻を強いられることになります。顾青が村を離れる時、翠巧は連れて行ってほしい、と楽しみます。しかし顾青は共産党の規則があるから、といって聞き容れません。その後、翠巧は望まぬ婚姻を逃れて延安を目指します。そして、夜、河を渡ろうとします。しかし、彼女の歌は途中で途切れます。雨が降らないため人々が雨乞いしている時、顾青はまた村に戻ってきます。しかし、翠巧は見当たりません。そして憨憨は顾青に話しかけるため人の流れに逆らって進みますが、顾青にたどりつけそうもありません。。。

カメラは、遠くから風景の中に溶け込んでいる人たちをうつしだします。一面荒野がひろがる画面になんといってもまず目を奪われます。

一方、村の人たちはほとんど表情らしい表情を浮かべることはありません。僅かな顔の動きにも気を取られることになります。そして、沈黙があるからこそ、かえって民謡が印象的に鳴り響きます。

顾青と村の人たちとの関係はきわめてぎこちないものです。意思は通じているようではありますが、通じていないようでもあります。国民党や共産党がさまざまな理念を掲げて争う中、農村には全くそういった理念と相いれないような世界が広がっていたのではないか、ということを想像させられて愕然とします。

また、共産党との関係性から映画を読み解くことは可能であり、その点、非常に意味深長です。

《黄土地》(1984■陈凯歌■薛白、王学圻、谭托、刘强■『黄色い大地』)